■いま思うこと⑤ :今から

 社会人になってからの自身を振り返ってみると
① 慢心の時代 :ミツミ電機・鳳山美之美の時代。やることなすこと全てが実績に繋がり、自己中心がまかり通った世間知らずで好き勝手ができた時代である。
② 挫折の時代 :平田機工時代の前半。慢心した状態で入社し、白が黒になるなど様々なことに直面し鼻を圧し折られ、試行錯誤の中で手足を縛られた感覚でもがき苦しんだ。今の自分になる必要なプロセスだった実感あり。
③ 開眼の時代 :平田機工時代の後半。自信喪失を経て(落ちるところまで落ち)、相田みつを著「にんげんだもの(つまづいたっていいじゃないか、人間だもの)」に出会ったことで、心の葛藤から抜け出すことを果たした時代である。右顧左眄することなく自己選択・自己決断・自己責任の心が固まった。
④ 挑戦の時代 :脱サラし、ゼロから挑戦していった時代毎年々々、新しいことに挑戦しながら、常に変化・成長・発展を目指していくことができた。「チャレンジすること」「ないものをつくること」が、こんなにも面白いものかと実感した。この実感を次世代人材にも経験してほしいと思っている。
⑤ 健康問題の時代 :何もかもが面白く、仕事三昧のつけが健康問題(癌や難病)として顕在化し、長期入院で生きる意味を深く考える時間も持てて、ようやく夫婦・家族の大切さが心底分かった時代である。そのことで仕事三昧からの脱却の意識が高まった。また今年の年初、家内が腰痛で動けなくなり入院する事態に直面し、今からの生き方を改めて見直す時期に来ていることを実感しているところでもある。
⑥ 今から :いろいろ考えているところであるが、年末までには「今年度目標(来年度目標)」をつくり上げていきたいと思っている。あくまでも「生涯現役で気力・体力に応じたソフトランディング」を目指すことが前提である。



最後に
上記の「慢心の時代」が、私の社会人としての出発点であり、その時代の印象深い出来事を述べておきたいと思う。
開発設計の時代は、部門のメイン機種の開発を担当し一時は部門売上の7割ほどを占めていた。印象深いこととしては、会社のボーリング部に入部し実業団ボーリング連盟の北海道・東日本選手権大会で、個人戦2位になり、アベレージが175から195に急上昇したことに自分でも驚いた。あとで考えると、自信のなせる業だったと分析している。
入社5年目頃に結婚し、3人目の子供が家内のお腹にいた時に、部長から台湾子会社への出向の打診があった。丁度、仕事上ではマンネリ化を感じていた時でもあり、その場で即了解したので、上司も驚いていたことを憶えている。
開発部門で部下1人だったのが、見知らぬ異国・台湾では450人の部下を率いることになり、おまけに製造部長として未経験の製造部門を担当した。勤務初日から徹夜する羽目になったり、日本では考えられないほど退職する社員が多かったり(年間退社人数が在籍社員数とほぼ同数)、指令室(部長やスタッフのいる場所)の裏に騒音・振動が激しいCHCマシンが設置されていたり、驚くことばかりであった。向こうにいた5年間で生産性、品質、利益も大幅に向上し、赴任時は「最低評価の工場」が帰任時は「最高評価の工場」(本社品質管理責任者が日本の会社の品質よりも上と評価)になったこと、QC発表大会では、子会社の代表に、そして台湾子会社の代表にも選ばれ、台湾人社員2名を日本本社で行われた世界大会に派遣し、そこで優勝したことも、懐かしい思い出である。まだ観光ビザが発行されない時に、現地社員に日本観光をプレゼントできたことも嬉しかったことである。
今思うこと②」に記載したように、会社から出向先の台湾子会社の次期総経理(社長)になる話と、親からの強い帰郷要請とが重なり、悩んだ末に会社を辞めることにした。自身が慢心状態であることを後日、痛感することになったが、その挫折のプロセスを経たことで、新たな挑戦の楽しさに目覚め、自立的な生き方(自己選択・自己決断・自己責任)をするようになり、脱サラ後の活動に大いに活かされて、その後の経験を通した新たな価値観を形成・蓄積できてきたとわけである。
全てのご縁に感謝です!