■日本人のあり方に思うA 相田みつを氏の著書「にんげんだもの」より |
<自分の子さえよければ> ある母親が息子の就職のことで、私のところへ来ました。以下はその母親の言い分。 「うちの息子は一人息子で、よそ様の子と違いまして大事に育てましたので、あんまり 骨の折れることや身体を荒っぽく使う仕事には向かないと思うのです。 それに小さな会社や工場ですと、いつ倒産するかわからず不安ですから、できたら 倒産のない大きな会社か役所のようなところが一番適当かと思うんですが、 相田さんのお顔でどこか安定したいい職場をお世話いただければと思いまして・・・」 「ほう、ほう、ほう」 聞いている私の顔がほてるような思いでしたが、これが世の親たちの本音かも しれません。 |
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母親の話を要約すると、 1. わが子にはなるべく骨を折らせたくない。(裏を返せば、他人の子ならいくら骨を折っても構わぬ) 2. わが子には一生安楽な生活をさせたい。途中で倒産なんて不安な思いはさせたくない。 (裏を返せば、他人の子ならそうなっても構わぬ) 何とも身勝手な話ですが、これがどうやら世間一般の母親たちの平均のようです。この母親の心の底には 「親の苦労は子にさせたくない」という切ない気持ちがあるわけで、一概に否定できませんが、こういう母親 のエゴが、結果的には子供自身をみんなダメにしている、と私は断言いたします。 自分の子さえ幸せならば他人の子はどうなってもいい、この母親の自分勝手。その母親の姿勢がそっくり そのまま子供に移って、自己中心的なわがままなブレーキのきかない現代っ子をつくっているんです。 つまり、母親そっくりの子供になっているわけです。 |
そこで私は世の母親たちに次のことを訴えます。 1.ラクしてカッコよければしあわせか、ということ。逆に骨を折ることは不幸か、ということ。 人間の本当の幸せとは一体何なんだ、ということ。 わたしは、人間の本当の幸せとは「充実感のある生き方」だと思っています。骨を折らない、つまり、 努力を必要としない仕事に充実感はありません。山登りに生きがいを感じるのは、山登りが大変 だからです。ラクじゃないからです。ラクじゃないから充実感があるんです。 2.ごく普通の順序でゆく限り、子供は親なきあと一人で生きていく、ということ。親なきあとどんな苦労に ぶつかるか分からぬ、ということ。 3.子供は将来を生きる、ということ。そして将来は何人にも予想がつかぬ、ということ。 |
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終戦前後のあの混乱期に、30数年後の今日の世の中を誰が予測できたでしょう。 私自身、敗戦で軍隊から帰ってきた当時、全家庭にテレビや自動車のある生活など、 夢にも想像できませんでした。いわんやお月様に人間が行くなんてことを。 それと同じで、わが子が一人前の大人になって活躍しなければならない20年、30年先の 世の中がどう変わっていくか?予測できる人は一人もいないんです。 つまりどう変わるかわからない将来を生きていく、それが子供です。 従って将来、子供がどんな苦難に遭遇するかは全く予想できぬということ。わが子には 苦労させたくないと母親のエゴでいくら思っても、親亡きあと、親よりも苦労をすることが 一杯あるかもしれない、そのように腹を据えて子供の将来を見通すべきです。 |
そこで言えることは、たとえ親よりも苦労することがあっても、親よりもたくましく、親よりも粘り強く、 人生を生き抜いて行く力と智恵を子供に与えておく、それが一番正しい親の愛情であり、義務であると 私は思います。 |