■共育塾の勇退&感謝の会⑤
共育塾20年を振り返って、5つの節目の出来事を紹介します。
先ず何よりも共育塾1期生を起ち上げましたが、今まで経営者塾をやった経験がなかったので、2つの企業経験や診断士資格取得時に得た知識・経験・技術をベースに、公的支援機関「中小企業支援センターPM、JANBOのIM、新連携支援PM」活動経験を活かして、1年以上かけてワクワクした気持ちで、試行錯誤しながらカリキュラムを検討しました。塾の名称を決めることも含めて、非常に楽しい時間でした。
「個性・自主性尊重の少数精鋭集団を、塾生全員参加の下に創り上げていこう!」と書いており、私のその時の「思い」が満ち溢れています。
何よりも最も印象深い1つ目の節目は、試行錯誤しながら様々なトライを行なった『共育塾1期生の起ち上げ』です。
1期生の時のカリキュラムを見てみると、1月から12月までの1年塾(12ヶ月)で、塾生はキックオフシートや自社取り込みシートも作成していました。非定期会食懇談と企業相互訪問を13回もやっていたことに驚きました。
そして1月にキックオフミーティングを行い、11・12月に総括プレゼン資料の発表そして修了式を行なっており、まさに現在の原型ができあがっています。
1期生の時にやりすぎて過負荷だったこともあり、2期生からは4月から1月に変えたことを憶えています。
2つ目の節目は、7期生の時に『奈須塾頭・横山メンター体制』になったことです。
共育塾3期生の時、年末に眼筋型筋無力症が全身型に急激に悪化し、たった1週間で食事もできなくなりました。1月の修了式も多くの方々の手助けでなんとか乗り切り、修了式を終えて熊大病院に即入院。開胸手術&胸腺摘出&パルス療法を施術後、病状安定後にリハビリ&感染予防のため機能病院に半年入院しました。
入院中に「せっかく始めた共育塾、私がいなくなっても継続させたい」気持ちが強くなり、地域診断士研究会の奈須さんから「私が後継したい」との申し出があり、5期生の時に副塾頭になってもらい仕事内容も徐々に移管して、7期生の時に奈須塾頭・横山メンター体制にしました。
高齢者で急激悪化した場合の平均余命は7年と聞きましたが、7年を過ぎても元気のままで、「神様から生かされている自分(この世でまだやることがある)」を感じて、共育塾のステップアップ経営者塾「熊志共育塾(2年塾)」を始めました。この活動が共育塾NW活動の継続に大いに役立ったこと(期生間の繋ぎ役)を今になって実感しています。
3つ目の節目は共育塾NW有志により『共育塾10周年記念祝賀会』を67名参加して、ホテルキャッスルで開催してくれたことも、大きな節目の一つになりました。
星崎さん・井川さんはじめ、支援機関の方々、九州志士の会熊本の方々をふくめて、多数の方々に祝っていただき、感謝・感激の気持ちに溢れたことを憶えています。
特にキックオフの時の1期生が、東京在住の一人を除いて全員参加してくれたことにも胸が一杯になりました。全員の寄せ書きもSOCKETオフィスに置いて、大切にしています。
過ぎてしまえば、アッという間に10年でした。
ここまで3つの節目を紹介しましたが、残り2つの節目については次回に紹介します。