| ■共育塾の勇退&感謝の会④ |
| 前回、58年にわたる私の仕事人生で、「私の価値観」に多大な影響を与えた5人の方のうち、平田機工・平田耕也氏とオムロン立石一真氏を紹介しましたので、今回は後の3人の方との御縁について紹介します。 |
| *星崎治男氏 2004年に九経局が新連携事業・九州モデルを、民間人を入れて策定を始めました。その時に九経局から私にも声がかかり、民間人3名(中核人材が星崎氏)が招集されました。星崎さんの突飛な言動・判断に振り回され、「格の違い」を実感すると共に多大な刺激を受けて以来、継続的に交流し教えを乞うてきました。 星崎さんの車(運転手付き)に同乗して福岡から熊本に向かう時に、「あなたは私から受け取ったものを、次の世代にバトンタッチしてほしい。私は福岡で天神塾をやっているが、あなたも熊本で若手経営者塾をやってみたらどう?」との話があり、その言葉に触発されて共育塾を企画・準備1年余、そして2007年1月に立ち上げました。 星崎さんからのトリガーがなければ、共育塾は創設しなかったと思います。 創設当初から兄弟塾を許可していただき、共育塾1期生の時からの協力応援者でもあります。 今回の“共育塾の勇退&感謝の会”にも、天神塾現塾長の星崎剛士さん(星崎治男氏の3男)と井川幸子事務局長が、私のために来熊し来賓のトップ・スピーチを、井川さんには懇親会・乾杯の音頭をとっていただきました。 剛士塾長が私の横の席にセットしてあり、星崎前塾長からのメッセージ?を二つ話しながら、数日前に撮影した写真も見せてくれました。星崎さんからの言葉は、「まだ若いうちに引くのは横山さんらしい」と「横山さんは人間の幅が広いね」だったそうです。 |
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| *竹内利明氏 2000年に中企庁・中小企業支援センター事業の委員会に出席した時(IM養成研修講師や中企庁委員会など月1、2回上京していた頃)に、石井係長の紹介で中小企業診断士協会支部の会合で竹内さんと出会い名刺交換しました。その後メールをいただき、竹内さん来熊時に長時間にわたり意見交換をして意気投合しました。熊本でのビジネス支援図書館推進活動を一緒に起ち上げたり、熊本の元気企業・同行訪問を毎年実施しているうちに、共育塾修了生の企業訪問も合わせて、いつの間にか訪問企業数80社を超えました。 ボウリングが趣味で、熊本で一緒に投げたこともありますが、私よりもアベレージも高くいいライバル関係です。竹内さんからの助言で、黒木プロ道場に通うようになりました。共育塾1期生から継続的に毎年の会食懇談もしていただき、いつも事前調査をした上で的確な助言をしていただきました。 仕事に対する価値観も非常に近く、ある意味での同志的存在でもあります。 |
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| *山本博一氏 1998年中小企業診断士の2次試験に合格し、福岡での診断士実習の時の先生で、実習期間に多面的な刺激を受けました。製造業の現場を知っているつもりだった私よりも、幅広く現場を理解されていることに驚かされました。熊本には製造業を熟知する診断士がおらず、私が目指す“製造業のコンサルタント”になるために、診断士に合格したあとも、最初の2年間は北九州・戸畑で月一開催されている山本勉強会にも参加し、たくさん学ばせていただきました。その後も価値観(王陽明の思想に共感)が似ていることもあり継続交流してきました。 私が中小企業支援センターPMになってからも、県外専門家として熊本の企業支援をお願いして、多くの企業を支援いただきました。強く印象に残っているのが亀井ランチ(亀井社長:共育塾1期生)で、2年間以上支援してもらったことです。 新連携PM(中小機構福岡支部)の時代になって共育塾を起ち上げましたが、カリキュラムの事例紹介を私が2回、山本先生が2回を講義することでスタート。 共育塾8期生の時に、「今年から共育塾での講義を辞めたい」との電話がありましたが、「なんとか今年まではお願いします」とお願いして7月に来て講義していただきました。いつも通りに定期塾終了後に山本先生との会食をお誘いしましたが、「今日は体調がよくないので帰ります」とのこと。 あとになってわかったことですが、7月末には入院加療開始し10月初に逝去されました。 10月12日に奈須さんと自宅を弔問。そして11月29日には奥さんからの遺品整理要請を受けて再訪問し、奈須さんと一緒に事務所内の遺品を整理して、私は形見分けとして「水訓」(王陽明?)の額を頂きました。 |
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| 以上紹介した5名の方々には、共育塾運営に全面協力をいただき、あらためて「御縁のありがたさ・不思議さ・大切さ」を実感しています。 |