| ■太宰府天満宮と明治維新 |
| 先日、家内と二人で“太宰府天満宮に森を載せた屋根を持つ「仮殿」(5月完成)”と“九州国立博物館の特別展「法然と極楽浄土」”を観に行った時のことです。 |
| 太宰府天満宮「仮殿」や特別展「法然と極楽浄土」を観たあと、熊本まで帰るため太宰府駅に向かいました。結構、歩き疲れて喉も乾いたので、太宰府天満宮参道の入口付近にある喫茶店に寄りました。その店の入口では、梅が枝餅や松が枝餅の製造・販売もしていました。またその店の壁には、西郷隆盛や大久保一蔵の書なども飾ってあり、小綺麗ですが何か不思議な店だなと思いました。 冷たい飲み物を頼んだところ、自然の草花を添えて飲み物を持ってきてくれたので、非常に癒やされた気持ちになり、この店に好感を持ちました。 会計の時にドアの横の壁を見ると、「薩摩藩定宿 松屋」の大きな木表札が置いてあり、掲示物を見てからやっと“昔の薩摩藩の武士などの定宿場”だとわかりました。 この喫茶店の名前を確認してみると「茶房 維新の庵」と書いてありました。非常に興味が湧いてきたので、帰ってからウェブで調べてみたのですが、目からウロコの明治維新の歴史探訪ができたので、それらを紹介します。 |
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先ずキッカケの「茶房 維新の庵」について。 江戸時代は薩摩藩の定宿として西郷隆盛などが泊まったという歴史ある店。3階建ての風格ある建物の2階部分は江戸末期、3階部分は明治13年(1880年)に建て増ししたもの。京を逃れ、西郷隆盛を頼って薩摩に向かう途中の月照上人をかくまった宿としても有名とのこと。 このとき月照上人は松屋の主である孫兵衛にお礼の歌を送っていますが、その歌は歌碑として庭に建立されている。母屋の1階は土産物店で、自家製梅干やゆかり(こぼれ梅)、海外からのお客様に好評という友禅の小風呂敷、太宰府にちなんだお酒などを置いています。 昭和62年(1987年)に隣接して、喫茶『維新の庵』をオープン。梅ヶ枝餅・松ヶ枝餅などが食べられ、注文すると季節の花を添えて出してくれる心遣いがうれしい人気のメニュー。喫茶から奥の庭に出て、外に置かれたテーブルでくつろぐこともできます。 |
| 次に「なぜ大宰府に薩摩藩の定宿があったのか?」を調べてみました。 太宰府天満宮の鳥居と向かい合う位置に延寿王院という天満宮を守護する寺があります。この寺は江戸時代末期の尊王攘夷派の基地になっており、三条実美ら5人(五卿)が滞在していました。五卿は京から長州に落ちのびたあと、1865年に幕府の命令で筑前藩預りとなり大宰府に移ってきたようです。 この五卿に高杉晋作・桂小五郎(長州)、西郷隆盛(薩摩)、坂本龍馬(土佐)などが会いに来て、倒幕や新しい日本づくりの相談をしていたそうです。いわゆる勤王の志士たちが出入りするなど明治維新の震源地だったことになります。 |
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その当時は、太宰府天満宮の参道にある“薩長土の定宿”が向かって手前右から薩長土と並んでいたようです。その一つが、私がお茶を飲んだ「茶房 維新の庵」(松屋:旧薩摩藩定宿)だったわけです。 その横には陶器店「まめや」(大野屋:旧長州藩定宿)、その先にあるのが茶菓子“宝満山、うその餅”で有名な「梅園」(泉屋:旧土佐藩定宿)がありました。実は今回大宰府に行った時には「梅園」で、“宝満山、うその餅”も買って帰りました。 それらの宿の前面にアクセサリー店「石ころ館」(日田屋:旧幕府定宿)があり、幕府が薩長土・志士の活動を監視していたそうです。 大宰府が、明治維新に繋がる歴史の一端を担っていたことにロマンを感じました。 これも何らかの御縁かもしれません。 |