■『吉田松陰ゆかりの地を巡る1泊2日の1人旅』番外編③ |
溜まっていたビデオ録画を観たあとに、4月に録画して観た『NHK歴史探偵「吉田松陰の教育力」』のタイトルが目に入り、改めて観直してみました。この番組の中に、歴史探偵が松下村塾を訪問した場面があり、松陰神社の白上宮司も歴史探偵と一緒に出演しており驚きました。そして私が実体験した場所でも対話していたので、自分ごとのように強く生々しく感じました。当録画を観ての切り口からの話をしたいと思います。 https://www.nhk-ondemand.jp/goods/G2025145955SA000/index.html |
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萩に行った時にいろいろ見聞したことで、私の吉田松陰像が2次元から3次元に切り替わったこともあり、また今回、歴史探偵を見直ししたことで、新たな吉田松陰の全体像を深堀りすることができました。 松下村塾の大方針は『礼儀作法をゆるやかにして、堅苦しい規則は設けずに、冗談などを交えながらお互いの心を通わせて学ぶことが大切である(相互研鑽・相互扶助・相互連携)』とのことで、私が想像していたとおり、この大方針の原点には“野山獄収監時の囚人仲間勉強会”があることも明確にわかりました。 |
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吉田松陰の手紙など175通を、AIを活用して解析したことも新鮮で説得力があり、「天下」を中心に「同志、諸友、愛、狂」などが囲んでおり、白上宮司の言葉と重なる松陰思想を実感することもできました。 「天下」を中心においた尊王攘夷思想とともに、もう一つの顔である「狂」が示す“あるべき姿を追い求める理想主義者”の側面も改めて理解しました。「狂」は、もとは孔子が説いた儒家の概念で、“ 志が高く進取の気性を有すること”を言うそうです。 最も印象深かったのは、日本の教科書での吉田松陰のイメージが、時代が変わるごとに大きく変化していったことです。吉田松陰は『明治維新後は「革命家」、戦前の昭和は「愛国者」、そして戦後は「教育者」』として、子どもたちに教育がなされていたことを初めて知り、時の政府の都合で実在の有名人物を教育するために、都合のいいデフォルメをしていることに、ある意味での子供教育の怖さも実感しました。 |
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歴史探偵の河合敦客員教授(多摩大学で日本史を教鞭)が「歴史は本当に単純化しないで、多面的・多角的に観ることが大切である。」と言っていましたが、全くそのとおりだと思います。心しておきたいと思います。 亡くなる前の夕方に書き上げた松陰の遺書「留魂録」(全12篇)も、ウェブで検索して全部読んでみました。覚悟を持って事にあたっていたことに、深く感銘を受けました。 |
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彼の有名な辞世の句「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂」に象徴されるように、彼は肉体が滅びても、自らの「魂」や「志」が時代を超えて生き続けることを確信していたようです。「ビジョンを描き、自己研鑽に励み、仲間との相互研鑽に努め、志を後世に託す」という確信に満ちた精神的性の確立を果たした意志が感じとれ感銘を受けました。 |
二人の方から「横山さんの共育塾の思想は、吉田松陰の松下村塾の理念に通じるものがある。」と、共育塾を創設して間もない頃に言われたことがあります。そして10年前にバスツアーで松下村塾に行きましたが、ツアーの慌ただしい旅だったこともあり、現場を見ただけで物足りなさを感じていました。 今回は、自分で事前調査&企画した『吉田松陰ゆかりの地を巡る1泊2日の1人旅』であり、私なりの検証ができた「一生、心に残る感動の旅」だったので、コラムに残しておきたいと思った次第です。次年度から共育塾を次世代にバトンタッチするに当たり、自分なりの区切りをつけることができました。 |
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