■『吉田松陰ゆかりの地を巡る1泊2日の1人旅』番外編②
今回の一人旅を通して、二つの素晴らしい御縁をいただきました。
一つは前回投稿した萩市観光協会の中尾さん、もう一つは松陰神社の白上宮司です。
松陰神社で本式参拝をしたあと、『一般観光客は立ち入ることができない松下村塾の講義室』で、白上宮司から吉田松陰にまつわる話を聴きながら質疑応答にも対応していただくという最高に贅沢な講義を受けました。萩旅行で学んだことを資料(A4用紙6枚)に纏めて、以下の言葉を添えて白上宮司に御礼の手紙を郵送しました。
「今回御教授いただいたことに加えて、私なりに深堀りして“吉田松陰の思想”を整理してみましたので、ご一読いただければありがたいです。」そして文末に「名刺はいただきましたが、メールアドレスが書いてなかったので、宮司のメールアドレスをお教えいただければありがたいです。」と追記しておきました。

その後しばらくして、宮司からメールで返信が来ました!
「早速ご丁重なお手紙を頂きまして、有難うございました。不十分な私の説明でございましたが、よくまとめてくださいまして、有難うございました。横山様がおまとめになられたことで、かえって私も勉強になるところがあり、感謝申し上げます。」と嬉しい言葉が書いてありました。加えて「最後に一点ほど気付きがございますが、これにつきましてはもう少しまとめて、後日お電話をさせて頂こうと思っております。」と、更に嬉しい一言も添えてありました。
そして思ったより早く、宮司から電話をいただきビックリしました。電話の内容は・・・
私の資料の中に吉田松陰の印象的な言葉を書きましたが、その一つに『夢なき者に理想なし、理想なき者に計画なし、計画なき者に実行なし、実行なき者に成功なし、故に夢なきものに成功なし』を書きました。この言葉に、宮司は“強い違和感”を持ったそうです。そこで知り合いの専門家たちに話を訊いたりして、裏を取ったそうですが、調べた範囲ではやはり松陰が書いた文書ではないとの結論だそうです。
この時代の「夢」は「眠っている時の夢、空想」という意味で、明治時代になって英語のドリーム(希望)を使い始めてから「夢」という言葉の解釈が広がったとの見解です。理想についても然り。宮司の説明を聞いて、私も“なるほど”と納得できました。
加えて、Copilotにも『江戸時代と明治以降の「夢」と「理想」の意味の違い』を聞いてみたところ、解り易い返事が返ってきたので、感心しました。
宮司は『吉田松陰の言葉』に関して、時代背景を含めて厳格に考えておられることを改めて知りました。「今からも知りたいことがあれば、いつでも連絡ください。」「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いします。」との会話で終えました。
吉田松陰に対する深い知見を持たれた松陰神社・白上宮司と、このような素晴らしい御縁を得たことに感謝しています。