■『吉田松陰ゆかりの地を巡る1泊2日の1人旅』その③ |
その①で、当初は全く想像してもいなかった『松陰神社に正式参拝して、松下村塾の講話室で宮司の講話を聴くこと』について詳述しましたが、2日目にそれ以外でも多くのことを実感&体験してきました。 ホテルからタクシーで松陰神社の鳥居に到着し、参道を通って松下村塾と松陰神社の位置を確認したあと、新たにつくられた「学びの道」を初めて散策してきました。 吉田松陰が残した珠玉の言葉の中から松陰神社名誉宮司が25を選出して、それを1m程度の句碑として「学びの道」の両側に新設したとのこと。(平成30年) 私に最も響いた言葉は『人は人の心あり 己は己の心あり 各々其の心を心として以て相交はる 之れを心交と謂ふ』でした。 |
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そして松下村塾・講義室で白上宮司の講話を聴いたあと、吉田松陰歴史館に入館。 吉田松陰の生涯を70体以上の蝋人形を使って、幼少期から獄死するまでを20場面にわけて再現し、時系列で展示されていました。一番印象深かったのは、松下村塾の原点でもある「牢番も一緒に学んだ野山獄での獄中教育」の場面でした。1日目に現在の野山獄跡にも行って、なかなかイメージが湧きませんでしたが、歴史館でその場面を見たことにより実感できました。 |
そのあと萩観光ガイド協会の大津さんと待ち合わせをして、「松陰神社宝物殿至誠館」「幽囚の旧宅」「伊藤博文旧宅別邸」を案内してもらいました。一番印象深かったのは、伊藤博文別邸の庭に置いてある明治天皇から贈られた石灯籠(菊と桐が半分づつ彫られた紋)菊が皇室、桐が日本政府だそうで、初代内閣総理大臣をはじめ内閣を4回も率いた功績に対する天皇の信頼は厚かったそうです。 |
それ以外に行きたい場所として「玉木文之進旧宅」と、「吉田松陰誕生地・墓所」があり、一人で行くことにしました。 先ず“松下村塾発祥の地”である「玉木文之進旧宅」を訪問。 吉田松陰の叔父・玉木文之進が1842年に自宅で私塾を開き「松下村塾」と命名し、吉田松陰もここで学び厳しく躾けられました。その後に吉田松陰が野山獄を出て自宅幽閉時に生徒が集まり始めて手狭になり、すぐ横に松下村塾の手作り塾舎ができました。1857年に松下村塾の看板もつくったそうです。 そして「吉田松陰誕生地・墓所」へ。距離感がよくわからず、暑い中を大量の汗をかきかき坂を登り、虫に追いかけられながらなんとか辿り着きました。 墓所周辺の高台に、吉田松陰像(一番弟子・金子重之輔と密航計画)がありました。そして、多くの弟子や親族に囲まれて吉田松陰の墓もありお参りしてきました。両日とも結構ハードな修学旅行でしたが、充足感・達成感のほうが強く、疲れはその翌日以降にドット出てきた感じです。心身ともに充実した2日間でした。 |
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