■平田機工メンバーとの会食懇談
私は約30年前に平田機工を退職し脱サラしましたが、有り難いことに私には共に苦楽を分かち合ってきた当時の同志的仲間(戦友?)がいます。彼らとは退職してしてからも継続的に会食懇談をして、それぞれの近況や多様な情報交換をしてきており、心からありがたく思っています。光陰矢の如しで、いつの間にか若手バリバリだった最年少メンバーが65歳を越えてしまいました。コロナ前には毎年数回の会食懇談をしていましたが、その後はリモートや会議室懇談でやったりしたこともあります。3年くらい前からは正常に戻りましたが、年1回くらいのペースになりました。
6月末(約1年ぶり)に鶴屋百貨店裏の“浜料理 侍”(九州の海鮮&郷土料理の美味しい店)で、彼らとの会食懇談を楽しみました!

前回病欠した仲間の欠席理由の話からスタート。30年前の白内障手術(毎日レンズ取り外し方式)が大変になり、現在方式(眼内レンズ方式)に切り替える手術をしたそうで、数回再手術を要して大変だったそうです。歳をとってくると「健康や病気」が話題になると聞きますが、この話をキッカケにお互いの健康や病気に関する話から始まりました。肝硬変&糖尿病、腰骨骨折、尿管結石、ばね指など、みんな何らかの病気持ちです。最後に誰にも負けない入院歴がある私の話になり、私の病歴を知っている仲間(生命保険屋に転職)から、「横山さんは、本当に悪運が強くて、まだ元気に生き残っている」との笑い話になりました。

それから、いつもの昔の思い出話で盛り上がりました。一番印象に残っているのは、やはり「ブラウン管設備」の話になります。やったことのなかった設備を受注し、試行錯誤しながら戦略設備機器(マスク着脱ロボット)の開発により、世界シェア0%から70%になった時期の話です。だいぶ前にディスプレーは、ブラウン管(CRT)からFPD(SED)に切り替わって、社会需要もなくなってしまいました。今はブラウン管設備の売上はほぼゼロで、まさに「時代の変化の象徴設備」だった気がします。
熊本の未来を左右するTSMCの話題でも盛り上がりました。TSMCの公用語は中国語ではなく英語だそうです。また世界基準(4M、QMS、D&I)に基づく企業取引が求められており、 “ものづくりの最先端”にいたはずの日本が、いつの間にか世界標準から後れをとっていることにも驚かされました。確かに自動車産業の最先端にいるはずのトヨタはじめ日本メーカーの不祥事報道を見ても、何となく違和感を感じていましたが・・・
半導体関連産業は世界戦略を基軸に動いており、10年先の研究開発まで追求していることも改めて知りました。TSMCの稼働が本格化していく中で、日本が“技術的にも管理的にも世界の最先端から遅れている事実”を実感するのかもしれません。
 
私も来年で80歳を迎えますが、一番若手だったメンバーもいつの間にか65歳を迎えて、高齢者の仲間入りをしました。一つの区切りとして、私から感謝の意を込めてプレゼントを準備しました。それはアントニオ猪木が引退の時に、サックス演奏をバックに朗読した詩「道」が書いてある“小ぶりのクッション”です。
『人は歩みを止めた時に、そして挑戦を諦めた時に、年老いていくのだと思います。我々も常に「いまから、ここから」でやっていきましょう!』との意味を込めました。
アッという間に過ぎてしまいましたが、心から楽しい時間を過ごすことができました。