■人間のための経済学 宇沢弘文②
(前回に続く)
宇沢弘文が帰国後に取り組んだのは、社会経済のあるべき姿の追及であり、経済体制の歴史的な展開の研究でした。ただし一見同様の主張をしているかに見える「多くの思想家や社会学者や経済学者」と宇沢弘文の主張が決定的に違うのは、「経済学的なモデル」と「数学的な思考に基づいた緻密な研究成果の裏付け」を持っている点だそうです。
彼が考える「ゆたかな社会」とは、「すべての人々が、その先天的、後天的資質と能力を充分に生かし、それぞれのもっている夢とアスピレーション(熱意)が最大限に実現できるような仕事にたずさわり、その私的、社会的貢献に相応しい所得を得て、幸福で、安定的な家庭を営み、できるだけ多様な社会的接触をもち、文化的水準の高い一生をおくることができるような社会」です。
経済制度は一つの普遍的な、統一された原理から論理的に演繹されるものではなく、それぞれの国ないしは地域のもつ倫理的、社会的、文化的、そして自然的な諸条件がお互いに交錯して創り出されると規定しています。よって経済発展の段階に応じて、また社会意識の変革に応じて常に変化することになります。これらのプロセスを通じて、経済的、政治的条件が展開される中から、その場所に最適な経済制度が生み出されるわけです。
全世界にあてはまるような、便利で統一的な経済システムのモデルなどというものはなく、地域ごとに、その地域が持つ諸条件を織り込んだ適切な制度がある」という考え方です。この場合の制度とは、地域ごとの自然環境や、そこで発展した文化や歴史や産業に根ざしたローカルな性質に基づいており、その地の人間の知識、技能、好みなどの思考習慣を内包し、しかもその制度が状況に応じて変化することまでを含みます。

では彼が言う「社会的共通資本」の考え方に触れてみます。
制度主義のもとでは、経済主体が利用する資本は、「社会的共通資本」と「私的資本」との2つに分類されます。「社会的共通資本」は「私的資本」とは異なり、「個々の経済主体によって私的な観点から管理、運営されるものではなく、社会全体にとって共通の資産として社会的に管理、運営される」ものです。「社会的共通資本」の所有形態は、たとえ私有ないしは私的管理が認められていたとしても、社会全体にとって共通の財産として、社会的な基準にしたがって管理、運営されるものです。「社会的共通資本」は、土地、大気、土壌、水、森林、河川、海洋などの『自然環境』、上下水道、公共的な交通機関、電力、通信施設などの『社会的インフラストラクチャ―』、教育、医療、金融、司法、行政などのいわゆる『制度資本』におおまかに分類されます。

彼は『政府の役割はお金を配ることではなく、働きたい人に仕事を与えることである。』『古典派経済学が無視した「人の心」「自然環境」を見つめ直す必要がある。また資本主義も社会主義もどちらも、「人間の尊厳」や「自然環境に対する配慮」が足りない。』と説得力のある主張をしています。
オムロン創業者立石一真氏が半世紀前に学会発表した未来予測「SINIC理論」での2025年から始まる新たな社会OS「自律社会」のあり方と似ていることに驚きました。(現在は、社会OSが大転換する激動の20年「最適化社会」にあります)