■ヨグマタ・相川圭子②
前回に続く
ヨグマタが話している動画やメッセージをいくつか見ましたが、私が仏教はじめ様々なことから実感していることを、自分の言葉で話していることが分かり、更に興味を持った次第である。
その中でも一番「なるほど!」と思った記事を紹介したい。
<インタビュアーの質問> :神様の存在とかを考えるようになった頃から、瞑想は、もうきっと行われていたのでしょうか。

<ヨグマタの回答>
そうですね。
静かにして、心って何なのか、身体ってどうなってるのか。
手があって、足があって、目が見えたり、色々感覚があるわけですよ。
そうやって、色々調べていくと、感覚があって、感覚からずーっと源にいくと、何があるのか。

永遠の存在があるんですよ。動かない存在。
それが全てを作り出しているっていう。

それは神に出会いたいっていうところで、そのためには、浄めていかないと、見えないわけなんです。
だから
皆はね記憶や色々な価値観や色々な考え、心配、怒り、そういうものに覆われているんですよ。
心に染みついてるわけ。
それを沈めていったり、バランスを取ったり、取り除いたり、磨いて行ったり。
例えば泥水が、こうシェイクするとね、こうダーって泥水の色が茶色くなるでしょ。
それをこう置いておくと、こうずーっと泥が沈澱していくじゃないですか。
そうするとそこだけ透明になってくるでしょ。

一応、心が静かになってくるわけですよ。
でも、泥は消えていない、質が悪くなったものは変わらない。
その質まで変えるのが、ヒマラヤシッダー瞑想。

ただちょっとリラックスして、何もしない状況から、積極的にお掃除して、積極的に溶かして、質まで変えていく。
変容させることが可能なんですね
心の様の表現が絶妙に表現されている。心を静めると、心に充満していた濁った泥は沈殿するが、本質は何も変わらない。その沈殿物を完全除去(浄化)しなければ、いつでも元の濁った泥水になりがちである。沈殿物を完全除去(浄化)することで、一つ上のステップに到達することができる。
「そこにステップアップするために、ヒマラヤシッダー瞑想がある」と言っているが、「沈殿させるレベル」と「浄化させるレベル」の違いを分かり易く表現しており、「なるほど!」と思った次第である。
うまく表現しきれないが、仏教・禅の「阿頼耶識」の話、量子力学の「ゼロポイントフィールド」の話にも通じるように感じられた。

今、いろんな本を読んでいると“宗教・哲学・科学”がそれぞれ矛盾をはらんでいるが、それらの矛盾を解明し一元化する研究が進み始めている。即ち「宗教と哲学と科学の融合」が始まっていることを実感している。
まさにヘーゲルの弁証法「テーゼ(正)と矛盾するアンチテーゼ(反)があっても、議論を重ねることでジンテーゼ(合)に達し、矛盾解決できる(アウフヘーベン)」という考え方に沿って、思考をベースに異なる分野間で相互不可侵だった“宗教・哲学・科学”の融合が始まっているように感じる。