■万法帰一 |
思い起こせば、今から27年前の平成7年7月、私が49歳11ヶ月の時に脱サラをしました。「49歳11ヶ月」を強調する理由は、新たな人生にチャレンジするのであれば、50歳の声を聞いてからではなく、40歳台でスタートを切りたいとの、私なりの強い拘りを持っていたからです。 その時に最も大切なことだと考えていたことは、「完全リフレッシュ後の活動再開」=「企業勤めの延長線のリズムを引きずらないで、新たな活動にチャレンジすること」でした。そのためにも座禅を組んだり住職との対話を通して、今までの自分と決別をしたいとの「強い思い」がありました。 |
「熊本の由緒ある寺で坐禅会をしている所」を探し、曹洞宗の九州本山である大梁山大慈禅寺をウェブで見つけることができました。さっそく大慈禅寺に電話で連絡を取り、厳粛な気持ちで訪問しました。 その時に対応いただいた方が、物腰の柔らかい上月月照和尚(当時80歳を越えた曹洞宗本体のNO.3相当の偉い方で、号は「祖庭」)でした。 その日の個人参加は私だけだったようで、最初に広い座敷に一人だけ通され、暫く待たされたことを覚えています。私が座った目の前の床の間には、掛軸が飾ってあり、「直心是道場」という書であったことを、今でも鮮明に覚えています。 しばらく経ってから、参禅者全員が大広間に集められて月照和尚の法話を聞いたあと、板の壁に向かって座禅を組んだりしました。その後に私は一人だけ別室に案内されて食事も出していただきました。 |
事前に私が和尚と話をしたい旨を伝えていたので、食事のあと、わざわざ私のために長時間にわたって対話をさせていただきました。ありがたいことであり、今でも心から感謝しています。 経験した理不尽なことや心の迷いなど世俗的な話を含めて、幅広い内容の対話をさせていただきました。「あなた達には見えていない世界ですが、坊主の世界も世間と同じく泥臭い世界で、・・・」と宗派内での権力闘争を含めて、率直な話もしていただきました。仏道に励む世界も一般社会と同様の泥臭い人間関係が存在することは、その当時は思ってもいなかったことであり、今でも印象深く私の心の中に残っています。 私の脱サラ後の原点(精神的ケジメ)は、大慈禅寺での参禅と上月月照和尚との対話にあると思っています。 |
その時に、「あなたの家の近くに曹洞宗の浄国寺というところがあります。坐禅をするのであれば、いつでもそこの中山住職を紹介しますよ。」と教えていただいたこともハッキリ覚えています。これもまた新たなご縁に繋がりました。 4年前に「新たなステップに向かうに当たり、坐禅をしてみよう」と思い立ち、浄国寺を訪問して、中山住職にお願いに行きました。住職に上月月照和尚との対話の話をして、それ以降に坐禅会に参加するご縁にも繋がっています。浄国寺の坐禅会を通して、おかげで坐禅に関する観方や心構えまで変わりました。 |
また十数年前ですが、あるところで色紙に書かれた月照和尚の書「直心是道場」を見て、あの時のご縁を思い出し、和尚直筆の書を入手したいと強く思いました。そこで大慈禅寺に電話を入れて、和尚の書が入手できないかの相談をし、和尚の書を複数持っている方を紹介していただきました。その方を訪問して、月照和尚の書を十数点見せて貰いましたが、残念ながら「直心是道場」はその中にありませんでした。しかし、一つ一つ書の意味の解説を受けながら全点見せてもらった結果、有り難いことに自分の心にフィットする書を見出すことができました。 それは「○万法帰一」という書です。その方のご好意で、その書を譲り受けて早速、掛軸に仕上げて自宅の床の間に飾っています。 |
【○万法帰一】とは ○は宇宙、月、心を表わすものであり、「天地と我と同根」「万物と我と一体」であることを示している。自分の心は宇宙に通じるものであり、自分の心が小さなことに左右されることなく、「深く、広く」「無常・無我」「全てに感謝」の心で満たそう。万法帰一(まんぽういつにきす)の「万法」は「この世の全ての現象(森羅万象)」のことであり、「一」は「絶対的な実相・現実・真理」のことである。 つまり「万法帰一」とは、この世の現象の全ては、絶対的な実相から派生したものであるので、その実相である「一」に還元されてしまう、ということである。 ご縁に感謝です! |