■追悼 稲盛和夫②
(前回に続く)
国の将来を憂えていた稲盛和夫と松下幸之助
第一に2人とも病弱だったこと。幸之助は生涯を通じて病弱で、20歳頃には肺尖カタルで血を吐きながら仕事をしていたこともある。稲盛も少年時代、結核を患い、療養生活を送っている。自分の体力に自信がない人間が事を成すには周囲の協力が不可欠だ。だからこそ社員を大事にするし組織運営に力を注ぐ。それが企業としての成長する土台となった。
経営手法も共通する。幸之助は事業部制を日本で始めて採用したのに対し、稲盛は「アメーバ経営」の元祖である。共通するのは、権限移譲を行い、それぞれの組織を独立経営させることで、社員一人一人に経営者としての意識を植え付けるところにある。
M&Aの手法もよく似ている。稲盛はカメラのヤシカやコピーの三田工業を買収し、事業領域を拡大していったが、幸之助も日本ビクターや松下寿産業などを買収、事業を拡げていった。もしビクターが松下電器の子会社になっていなかったら、日本の家庭用ビデオの歴史は大きく変わっていたかもしれない。
さらに幸之助は松下政経塾を、稲盛は盛和塾をつくった。幸之助は次代の政治家を作ろうとしたのに対し、稲盛は「日本企業の大半は中小企業。その経営者が立派な経営をしてくれないと日本経済は活性化しない」と中小企業経営者の育成に力を注いだ。教える対象は異なるが、共通するのは日本の将来を憂える気持ちだ。
稲盛が好んだ「無私、利他」の精神
そして最大の共通項は、経営に哲学を持ち込んだことだ。
「あまねく人に大量に安価に商品を供給する」という幸之助の水道哲学は有名だが、松下電器の経営そのものにおいても、「松下電器の経営基本精神」を制定、経営の基本的な考え方を示している。
 松下電器は今ではパナソニックホールディングスへと社名が変わったが、現社長の楠見雄規は、昨年、社長に就任するや、「社内に創業者の考え方が薄れている。それが業績低迷につながっている」と考え、現代流にアレンジした経営基本方針を社員に浸透させようとしている。幸之助哲学は、パナソニック社内で今なお息づいている。
稲盛哲学も同様だ。京セラには“京セラフィロソフィ”がある。「稲盛和夫OFFCIAL SITE」に稲盛が一文を寄せているが、
〈京セラを経営していく中で、私はさまざまな困難に遭遇し苦しみながらもこれらを乗りこえてきました。その時々に、仕事について、また人生について自問自答する中から生まれてきたのが京セラフィロソフィです〉とある。さらには〈フィロソフィは、実践を通して得た人生哲学であり、その基本は「人間としてこういう生きざまが正しいと思う」ということです〉と続く。この物事の判断基準として「人間として何が正しいか」と問いかけることが、稲盛哲学の基本となっている。
1980年代にそれまで電電公社の1社独占だった国内通信事業が民間に開放された時、稲盛は第二電電を設立する。1984年のことだ。このとき稲盛が半年間にわたり「動機善なりや、私心なかりしか」と問い続け、一切の私心なく、純粋に日本のためと確信を持ったうえで決断したというエピソードはあまりにも有名だ。
経営破綻したJALを再建するため 乗り込んだときも「JALフィロソフィ」を制定した。その冒頭には「全社員の物心両面の幸福を追求し」という文言が入っている。稲盛は「株主のためではなく正社員、派遣社員、アルバイトなどを含む、すべての従業員の幸せを追求するという一点を強調した。経営陣だけでなく従業員全員が協力してくれないとこの理念は実現で
きない。この考えが組織に浸透した結果、物事がうまく運ぶようになった」と語っている。
日経ビジネス2022.09.12号の特集「稲盛和夫 カリスマの遺訓」の最後のページに、「私自身が紆余曲折のあるの人生だったものですから、特にそう思うのかもしれませんが、環境がよくても悪くても、その中で必死に努力することが大切です。先が見通せない時代こそ、それを徹底するしかありません。」と書いてありました。
合掌 礼拝