●喜寿を迎えて①
今年で喜寿を迎える歳になって、今までの人生を振り返ってみると、さまざまな思いが蘇えります。
そして人生の四苦「生老病死」について、いろいろ深く考える年になりました。今まで、九死に一生を得たことが何度かありましたが、おかげさまでこの歳になるまで元気に生かされていることに、「有難い」と感謝しています。せっかくの機会なので私自身が九死に一生を得て、幸運にも元気に生き続けてこられた事柄について振り返ってみたいと思います。
ご縁に感謝です!

①生まれた時のこと :昭和20年8月15日が終戦。その5日後8月20日にドサクサの中で外地(朝鮮)で生まれました。亡き母から聞いた話ですが、
母が産気付いた時に産婆さんが早く出産させようと、熱いタオルで腹部を温めたことにより、母の出血がひどく止まらずに母子とも死にかけたそうです。加えて臍の緒が首に巻き付いて仮死状態で生まれましたが、いくつかの幸運(止血剤入手、すぐ臍の緒外し)に恵まれて、奇跡的に助かったようです。
②小学校の時のこと :小学3年の時に山鹿小学校から熊本市の碩台小学校に転校してからのことです。
・小さい頃から風邪をひいて扁桃腺が腫れやすく、学校を休むことが多かったようです。熊本市への転校を機に、風邪をひきにくくするために、近くの耳鼻咽喉科で両側の扁桃腺手術をやりました。(技術レベルも低い時代で、片側づつ扁桃腺除去手術をするのが普通だったようです)そのために大量出血し、その血を相当量飲み込んでしまったようで、家に帰ってから大量の吐血をして体力も弱ってしまい、親も相当心配したようです。大量のリンゲル点滴を両足に行うことで、何とか持ち直したとのこと。
・小学校4年生の時には、運動場でクラス仲間と野球をやっていた時に、ある生徒が私の近くで素振りを始めたようです。そのバットが私の左前頭部に当たり一時的に失神しました。もう少し下にある眼や鼻に当たっていたら、どうなっていたやら。数ヶ月の間は顔半分が内出血で紫色で恥ずかしかったのを覚えています。
③交通事故 :平田機工時代に2度ほど交通事故になりかねないことを経験し、「何か(サムシング・グレイツ)に守られている」ことを実感したことがあります。それ以降は「ヒヤリ、ハット」をしないですむように、安全運転を心掛けています。
・幹部の宿泊懇親会で天草に行った時のこと。夜の飲み会後に徹夜マージャン、そして早朝釣りをして、そのまま車で帰宅途中に居眠り運転をしてしまい、衝突寸前に目が覚めて急ブレーキを踏んで、事なきを得ました。
それ以降は、徹夜後は必ず睡眠をとってから運転するようにしています。
・山岳ゴルフの帰りに、急勾配の下り坂でついスピードが出過ぎて、慣れない道での急カーブを曲がり切れずに、もう少しで対向車と衝突するところでした。
それ以降は、スピードが出やすい下り坂ではブレーキを踏んで速度を落とすようにしています。

次回に続く