●禅の教室  
浄国寺の座禅会に参加した時に、中山住職の講話の中で、「禅の教室」(藤田一生、伊藤比呂美共著)の紹介があり、「この本の中に、伊藤比呂美氏が当寺で初坐禅を組んだことについても書いてある」との話があり、非常に興味を持ったので早速借りて帰り、1週間で読み上げました。
禅僧・藤田一生師と文筆家・伊藤比呂美氏の対談ですが、異分野の二人が異なった視点で禅を論じており、坐禅の本からは得られない多視点からの禅を学ぶことができて、非常に面白く読みました。坐禅の素人である伊藤氏が初歩的なことを質問することで、藤田氏も素人に分かりやすい表現で説明することで、新たな刺激や気付きを得ることができました。
少し坐禅に馴染んで固定概念も生まれ始めていることを、この本に出会ったことで、改めて再認識するとともに、仏教のシンプルで奥深い面を感じました。

例えば「シッダールタ(釈迦)が仏教の法(教義:カルマ)を発見したことは、ニュートンが万有引力の法則を発見したことと同じ」と知ったことで、「釈迦は悟りを啓いたというよりも、世の真理(大宇宙の働き:法身仏)を発見した人なんだ」と気付き、観方が少し変わりました。
また、「プリンターは4色(赤・青・黄・黒)で全ての色を表現できる。仏教は6識(目・耳・鼻・舌・身・意)で全ての経験を表現できる。」などの表現を知ることで、違った角度からの6識に対するイメージを持つことができました。
このように、「目から鱗の発想」にたくさんの刺激と気付きを受けました。
そのほか分かったこと
*大別すると、原始仏教(初期仏教)、上座部仏教(南伝仏教)、大乗仏教(北伝仏教)、チベット仏教(密教)があること。昔は3つの仏教が地域毎に棲み分けできていたが、社会がグローバル化したことで、ニューヨークなどの大都市では混在化しており、全体的見直しのが必要な時代(融合化or区別定義化)になっている。
*釈迦族のゴータマシッダールタが釈迦(釈尊)であり、仏陀(ブッダ)とは悟りを開いた人全体のこと。「如来の如=縁起の繋がり(NW):言葉では表現できないもの」のことで、「如来=宇宙の真理が来たという意味」である。
*坐禅は他力(無為自然)で行うもので、瞑想は自力(目的あり)で行うもの。瞑想には「サマタ瞑想(止の瞑想:一点集中:α波)」「ヴィパッサナー瞑想(観の瞑想:気付き):θ波」がある。
*曹洞宗(黙照禅・生活禅)の禅と臨済宗の禅(看話禅・公案禅)との違いが分かった。
次の参禅時に中山住職から、当書籍の内容で知りたかったことを教えてもらいましたが、その中の一つを紹介します。
教師資格が「2等教師、1等教師、正教師、権大教師」とあり、藤田一生は「二等教師(初期に授与される)」であることを知り驚きました。あれだけ長年の間、アメリカで曹洞宗布教活動してきた方が、昇格しない理由について中山住職に伺いました。
藤田一生の修行道場は安泰寺(澤木興道が安泰寺中興の祖:元駒沢大学教授)であり、修行道場として公式認可されていないこと(本流にいない)、本人が無頓着であることなど教えてもらいました。
どの世界でも、亜流にいる魅力的な人材が次世代を創っていくと感じました。

因みに、中山住職は「権大教師(熊本に3人だけしかいない)」とのことで、その上に「大教師」があることも知りました。
熊本の曹洞宗界では凄い方ですが、無為自然な感じで、気軽に話ができるので、私は恵まれたご縁を得たと思っています。