●連合国軍の対日施策①:マッカーサーの離任演説
私は終戦の年に生まれました。8月20日生まれでギリギリの戦後っ子です。
そういうこともあり、戦後の連合国軍による極東政策や日本におけるGHQ占領政策に関して興味を持ち調べてみました。
第二次世界大戦は日本の無条件降伏により終結し、アジアにも新たな平和が訪れようとしていました。朝鮮をソ連と米国の話し合いで、1950年に北朝鮮と韓国が誕生したのですが、北朝鮮が韓国に攻め入り両国での内戦が始まりました。中国共産党軍が北朝鮮を支援し、連合国軍が韓国を支援する構造で、朝鮮戦争が勃発し、一進一退と長期化し連合国軍が苦戦を強いられていきました。(現在は1953年に休戦協定が結ばれている状態です。)
朝鮮戦争の処理を巡りトルーマン大統領とマッカーサー連合国軍最高司令官との間では幾度となく激論が交わされていたようです。具体的にいうとトルーマンは「朝鮮戦争で連合国軍は韓国軍の援護に回り、中国は巻き込まない」ことを主張し、一方で現場の実情に詳しいマッカーサーは「中国を直接引き入れ、中国共産党を弱体化させるために蒋介石を支援することで、北朝鮮軍も弱体化させる」ことを望んでいました。そのような経緯があり、高い極東統治実績を残しているマッカーサーを、(任命時から望ましく思っていなかった)トルーマンが電撃解任(退任)したのが実情のようです。 

それらに関してウェブでいろいろ調べていく中で、貴重な演説に触れることができました。それはワシントンDCの上下院合同会議(1951年4月19日)に出席したマッカーサーが、40分にわたる離任演説を行いました。
ダグラス・マッカーサー将軍:連邦議会での離任演説(1951 年)|About THE USA|アメリカンセンターJAPAN (americancenterjapan.com)

その離任演説では、6年間にわたる日本統治経験を通して、日本および日本人について感じていた日本観・日本人観を述べているので、その部分を中心にして紹介します。
演説は『上院議長閣下、下院議長閣下、ならびに連邦議会議員の皆様。私は深い謙虚さと大きな誇りを感じつつ、この演壇に立っています。(中略)人生のたそがれ時にここで演説するにあたり、私には何の遺恨も苦渋もありません。心にあるのは、ただ1つ、国のために尽くすという目的だけです。』で始まり、極東全般の状況に関して論じていく中で、中国の歴史や中国共産党への危機感を論じたあとに、日本および日本国民に対して「好感や信頼感」に基づく論調で触れています。
『戦後、日本国民は、近代史に記録された中では最も大きな改革を体験してきました。見事な意志と熱心な学習意欲、そして驚くべき理解力によって、日本人は、戦後の焼け跡の中から立ち上がって、個人の自由と人間の尊厳の優位性に献身する殿堂を日本に打ち立てました。
そして、その後の過程で、政治道徳、経済活動の自由、社会正義の推進を誓う、真に国民を代表する政府が作られました。
今や日本は、政治的にも、経済的にも、そして社会的にも地球上の多くの自由な国々と肩を並べています。世界の信頼を裏切るようなことは2度とないでしょう。最近の戦争、社会不安、混乱などに取り巻かれながらも、これに対処し、前進する歩みをほんの少しも緩めることなく、共産主義を国内で食い止めた際の見事な態度は、日本がアジアの趨勢に非常に有益な影響を及ぼすことが期待できることを立証しています。
私は占領軍の4個師団をすべて朝鮮半島の戦場に送りましたが、その結果、日本に生じる力の空白の影響について、何のためらいもありませんでした。結果はまさに、私が確信していた通りでした。
日本ほど穏やかで秩序正しく、勤勉な国を私は知りません。また、人類の進歩に対して将来、積極的に貢献することがこれほど大きく期待できる国もほかに知りません。
そして最後に、かの有名な一文で締めくくっています。
『私は今、52年にわたる軍務を終えようとしています。今世紀に入る前に私が陸軍に入隊した時、それは私の少年時代の希望と夢が成就した瞬間でした。私がウェストポイント(陸軍士官学校)で兵士になる宣誓をして以来、世界は何度も向きを変え、希望や夢はずっと前に消え失せてしまいました。しかし、当時兵営で最も人気が高かったバラードの一節を今でも覚えています。
それは誇り高く、こう歌い上げています。「老兵は死なず。ただ消え去るのみ」と。そしてこのバラードの老兵のように、私もいま、私の軍歴を閉じ、消え去ります。
神が光で照らしてくれた任務を果たそうとした1人の老兵として。さようなら。』

マッカーサーが離日した時には、およそ25万人の人々が、空港に続く12 マイルの道に10 列もの列を作っていたそうで、米国同様に日本でのマッカーサー人気も凄かったようです。
好戦的とか自己顕示欲の塊というような評価もあるようですが、まぎれもなく日本の民主主義の基礎をつくったのはマッカーサーです。
もしマッカーサーとトルーマンの間に相互信頼関係があったのであれば、今の中国は中華民国になり代わっていたかもしれません。
次回に日本におけるGHQ占領政策に関して書いてみます。