●ボーリング① 
実業団東日本選手権大会の個人戦で準優勝
 
孫たちの雛祭りに向けて、倉庫から雛人形を出した時に、アルバムの入った段ボール箱を見つけて引き出してみました。私の小さい頃や会社関係の写真は、元々あまり撮っておらず、残念ながら記憶に残っている写真すら殆ど見つかりませんでした。
ところが結婚してからのアルバムが10冊ほど出てきました。ずっと家内が小まめに家族アルバムを作り整理してくれていたようです。
つい昔の出来事を思いに耽りながら眺めていたところ、残っているとは思ってもいなかった「ミツミ電機時代の社報に掲載された記事」が、家族アルバムに張り付けてありました。記事の日付を見ると昭和48年5月で、結婚したのが昭和47年10月5日だったので、長男が家内のお腹の中にいる、まさに新婚ホヤホヤの時のことでした。

昭和48年5月11~13日(3日間)に全日本実業団連盟主催の東日本選手権が北海道・札幌で開催され、運よく男子個人戦(512名参加)で準優勝した時の記事です。
ミツミ電機・卓球部は、特別採用枠で大学のトップ選手を毎年採用・強化し、全国紙にも掲載される部活動でしたが、我がボーリング部は調布支部(東京Fブロック)で少し活躍するくらいの弱小部活でした。
そのボーリング部の一般社員が、全国大会にFブロック代表として参加し、男子個人戦で準優勝したので、会社も戸惑いビックリしたようです。次の年から会社からの部活動費補助が増額され、私自身も社長表彰を受けたことを覚えています。

個人戦は2日目の早朝スタートでしたが寝過ごしてしまい、慌ててタクシーに乗ってスタート時間ギリギリにボーリング場に到着しましたが、なぜか心は冷静でした。
投球練習が終り、寝ぼけ眼のままでゲームがスタートしたのですが、逆に肩の力も入らずによかったのかもしれません。まさに「怪我の功名」?です
私は優勝を狙うようなレベルでもなく、「参加することに意義あり」(オリンピック憲章)の心境で、確か1ゲーム目は176だったと思います。ところが2ゲーム目に256を出し個人戦の3Gトータルが656となり、自分でも信じられない準優勝を勝ち取ることができました。スコアを意識せずに淡々と投げることができたようで、今でいう「ゾーンに入っていた」のだと思います。

思い起こせば、大学時代に時々遊びでボーリングをやっていただけですが、趣味欄に「ボーリング」と書いていたようです。ミツミ電機に入社した時にボーリング部の荻野部長(総務部)から「ボーリング部に入らないか?」と声がかかり入部しました。そのご縁でマイボール・マイシューズまで購入し、本格的な練習を始めることになりしました。
本格的にボーリングを経験したことにより、貴重な実践・体感したことがあります。
私は調布支部の実業団選手の中では平均的ボーラー(アベレージ175前後)に過ぎませんでした。それが東日本選手権大会という大きな舞台で、Fブロック代表3チームの1チ-ムとして参加する機会を得て、個人戦で準優勝したことにより、短期間のうちに何だか見える景色が変わってしまいました。それを境に、練習量を増やしたわけでもないのに、なぜか公式アベレージが175から195に急上昇しました。自分でも信じられない変化です。そして会社のボーリング部及び調布支部実業団リーグ戦でのトップボーラーになって、周りからも一目置かれるようになりました。


その時はアベレージ急上昇の理由が分かりませんでしたが、いろいろ人生経験を積んでいく中で、「内面からの自信のなせる業」だということに気が付きました。
このことはボーリングだけでなく何にでも通用するものだと確信しており、若手経営者塾や創業セミナーでも、この事例を活用して「自信を持つことの重要性」を伝えるようにしています。