●千日回峰行満行者、塩沼亮潤住職

先日、BS1で「大峯千日回峰行の道を行く 修験道・塩沼亮潤の世界」が放映され、何となく気になったので録画して、あとで見てみたところその生きざまに感銘を受けたので、コラムで採り上げることにした。
彼は修験道1300年の歴史の中で、2人しか成し遂げた者がいない荒行・大峯千日回峰行の満行を果たした人で、現在は自ら建立した福聚山慈眼寺の住職をしている。(比叡山千日回峰行の満行者は51人いるが、大峯山千日回峰行とは難易度がだいぶ異なるようである。)
大峯千日回峰行とは、吉野から大峯山まで片道24キロ(往復48キロ)、高低差1400メートルの山道を1日16時間かけて、一日も休まず1000日に渡って日々往復する。1年のうち修業期間は5月~9月に限られており、満行まで9年かかる。たとえ病や怪我、嵐の日であろうと、行半ばで止めることは許されない。毎日23時起床、滝行を行いオニギリ1個を食べて、死出の旅を意味する白装束に身を包み、午前0時半に出発。迫りくるあらゆる限界に耐え、ひたむきに歩き続けて往復を繰り返す。途中挫折すると、その場で自作の小刀で切腹する習わしとのこと。

更に「一切の食物、水を断ち、眠らず、横にならず」、これを貫くこと9日間、堂に籠り真言を唱え続ける「四無行(断食、断水、断眠、断臥)」に挑む。行の最中に命を落とすこともある過酷さで、あらゆる感覚が研ぎ澄まされ、線香の灰が折れて落ちる音さえも聞こえたという。その厳しさゆえに、現代では千日回峰を果たした者にしか許されない、命を賭けた難行である。
そして新たな行に入る。五穀と塩を断ち、100日間に渡り護摩を焚き上げる「八千枚大護摩供」。
生きるために必要なものを極限にまで制限して行われるこの行も、また想像をはるかに絶する厳しい修行である。
これらを達成したものだけが、行者から大阿闍梨になれる。
聞けば聞くほど想像を絶する修行であり、よほどの覚悟がないとできないことを実感すると同時に、殆ど満行者がいないことも想像できる。

塩沼住職が修行を通して得たものは、「感謝(ありがとう)、反省(すみません)、敬意(はい)」を持って生きることに加えて、人間は一人では生きていけないことを悟り、「助け合いの精神」が大切だと心している。未だ修行の途中にあり、つい2年ほど前に改めて気付いたこととして「笑顔で生きること」の大切さだと語っていた。
慈眼寺の護摩行には毎年、多くの参拝者が全国から集まるそうだが、彼の言葉の奥にある「深い思い」が、その場の雰囲気を創り上げており、その場を共有することで、参列者は魂が揺さぶられるような感銘を受け、初心を忘れないようにと翌年も参列するのだと思った。

同行取材のディレクターが、「塩沼住職が質問に答える言葉だけを聞いていると、きれいごとを語っているように感じ、普通の住職に感じられるが、修行や護摩行の現場に立ち会っていると、次元の異なる人であることが強く実感できた。」と言っていた。
最後に修験道に関して、少し調べてみたので紹介しておく。
修験道とは、7世紀後半に役行者(えんのぎょうじゃ)が始めた山岳宗教(神道系)の一つ。行者のことを山伏ともいう。日本古来の山岳修行に陰陽道神仙術と密教を取り入れて、独自の修験道を確立したといわれている。神仏習合の時代に、それらは真言系僧侶、天台系僧侶、神社僧などで運営されていたが、明治維新の神仏分離令により修験道は禁止され廃寺となった。その数年後に天台宗末寺として復興して終戦後(1948年)に修験道の金峯山修験本宗が立宗したようである。
 
動画もいくつかを見て、疑問に思うことをいろいろ調べたりしてみて、彼の生き様に非常に感銘を受けるとともに、今まで知らなかったことを知ることができたことに感謝している。