■陽明学と朱子学(2)


前回は「儒学」と「儒教」について紹介した。その思想的流れを根幹においた学問「朱子学(宋学)」「陽明学(陸王学、心学)」は日本の近代史に大きな影響を与えた学問であるが、私なりに深掘りしてみた両学説をここに紹介したい。

12世紀・南宋の時代に、仲間と共に朱熹(朱子)儒教の再構築(新儒教)を行った。儒教では難解な「五経」の解説では教えるのが難しく、これに書( 大学、論語、孟子、中庸 )を加えることにして、「四書五経」を新儒教の教本とした。「理気二元論「格物致知」「性即理」の考え方には道教思想も融合されている。
特に身分秩序「」に関しては、「自然や万物に上下関係・尊卑があるように、人間社会にもそのような差別があって然るべき」との考え方を示し、孔子の「」の思想とは相容れない方向に向かっていった。
朱熹の人生は、紆余曲折が激しく失意の中で亡くなったが、元の時代に入ると「朱熹の学問が唯一正統なもの」と国家に公認されて科挙試験にも採り入れられた。以後は、中国近世社会で支配者階級の理論的基盤として清王朝まで続いた。


理気二元論(先知後行)」とは、心は「理(知識・学問)」と「気(行動・実践)」でできており、知識を得て初めて行動に繋がる。理と気があってこそ全ては存在しておりどちらかが欠ければ存在することができない。それが朱子学における世界観である。
そして「先知後行知ってさえいれば、いつでも行うことができる)」「格物致知(学問を通して、ものの道理を極める)」という知識偏重の考え方を示した。
加えて「性即理」の考え方は、心(性)はコロコロ変わるもの(善→情→欲・悪)であり、その心を理(知識・学問)で制御することが必要である、というもの。
この考え方は、世の支配者階級に積極的に受け入れられていった。(性悪説)
そして隣国の朝鮮・高麗王朝(両班)や日本・江戸幕府(武士)でも、この朱子学を官学として採用し、両国とも秩序を重んじた保守的な体制を作り上げることに成功した。


陽明学
は「知行合一」「致良知」「心即理」といった代表的な言葉があり、その中心には「」を掲げている。朱子学の「礼」という形式的なものでない「自由な心から生まれる心の正しさを尊重し、行動・実行することが肝要だ」としている。権力側からみると革新的な危険思想になるため、嫌われ軽視された面がある。
知行合一(理気一元論)とは、「理(知識・学問)」と「気(行動・実践)」は一つ(分けることはできないもの)であり、実学を通してのみ道理を極めることができると説いている。学問の追究に頼らずとも、そもそも理は人の心のなかに初めから備わっている。「知って行なわざるは、未だこれ知らざるなり」は、王陽明の最も有名な言葉である。「知良知」とは「実学を通して、ものの道理(道徳知)を極める」ことである。
加えて「心即理」とは「心こそ万事万物の原理(いいことを思い、いいことをやる)であり、そもそも人間は生まれた時から心と理(体、行動)は一体である」「自由な心から生まれる心の正しさを尊重し、行動・実行することが肝要である」と説いた孔子の基本思想である性善説」を説いている。

この儒学思想を、江戸幕府は官学(武士)として朱子学を取り入れ、下級武士や町民は寺小屋教育に陽明学を取り入れて、多くの日本人が学びを深めていき、勤王(皇室中心)佐幕(幕府中心)の勢力争いが起きて、江戸開城そして明治維新に繋がっていったわけである。
最後に、朱子学と陽明学の比較表を掲載しておくこととする。