■陽明学と朱子学(1) |
日本では江戸末期に大きく時代が動いたが、中国伝来の学問である朱子学(朱熹)と陽明学(王陽明)が果たした役割は大きかったように思う。徳川幕府推奨の学問(官学)が朱子学、一方で下級武士や庶民の中では陽明学が寺小屋教育などで普及し、薩長土肥の下級武士が中心となって倒幕、そして明治維新という稀有な無血革命が起きたようである。そこでそのエネルギーの基となった陽明学と朱子学について少し深掘りしてみたい。 今までは儒学と儒教は同じものだと思っていたが、いろいろ調べていく中で少し違うことが分かった。そこで先ずは儒学と儒教について深掘りしてみた。 |
朱子学と陽明学の源流を辿れば、儒学の祖・孔子(紀元前6世紀)の「論語」にいきつく。孔子は論語を文書として残したわけではなく、その思想を後世に残したいと思う弟子たちが、死後約四百年かけて編纂し残したのが『論語』である。 論語の中では、「修己治人(己を修めて、人を治める)」即ち「個々人の道徳的修養と徳治主義的政治を尊ぶ」ことを説いている。 孟子(前4世紀)はその思想が「孔孟思想」と称されるように、孔子の思想を受け継いで学問的側面から儒学として発展確立させた人物である。自己の倫理的修養による人格育成から最高道徳「仁」への到達を目指し、また礼楽刑政を講じて経国済民の道を説いた。 「仁」は孔子の思想の根本を支える概念であるが、「仁」とは具体的に何であるかの説明を孔子はしていない。孔子の言葉の解釈からすると、「仁とは、他者の心中を思いやること、思いやりの心」であり、深い人間愛を基本とするものだといえる。 |
一方で董仲舒(前2世紀)は、5つの基本的徳目として五常「仁義礼智信」を設定し、統治に活かすために「礼」に基軸を置いた思想での体系化を進めた。学問的側面というよりも思想的側面から、儒教(礼教)思想を確立したようである。 「礼」は、「相手のことを心から大事にする」意味であって、本来は人間関係を穏やかにするためのものである。そこには人間的温かみがあるわけだが、いつのまにか統治的立場から「社会的秩序ならびに個人的行為の伝統的規範」に重点を置く方向に向かわざるを得なくなる。そして前漢・武帝の時代に董仲舒の献策により儒教(礼教)は国教となった。儒教(礼教)とは、『五常(仁、義、礼、智、信)と呼ばれる5つの徳性を養うことで、自身と関わり合う五倫(夫婦、父子、朋友、長幼、君臣)との関係性を良好に保つ』という教えである。その経典として、五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)を準備した。 |
五常と五経について、簡単に触れておく。 |
五経(易経、書経、詩経、礼記、春秋)とは *易経 :占いの理論と方法を説く書 *書経 :歴朝の聖王賢臣が天命を奉じ,徳を明らかにし,刑罰を慎んで,政教を施したさまを記述 *詩経 :中国最古の詩集(前9世紀から前7世紀にかけての詩 305編) *礼記 :「礼」の倫理的意義について解説した古説 *春秋 :魯を中心とする各国史実を編年体で記述した中国史学(春秋学) 次回に、朱子学と陽明学の比較と日本伝来について深掘りする。 |