■哲学を考える⑥ 哲学の歴史を知る③ 

哲学の歴史となると、社会科の歴史の中の一部として「④近代哲学」までを学校で学んだ記憶があり、宗教への疑問から哲学、そして自然科学の深耕へと展開していったこと、また時代の変化にも大きく関係していることなどを実感している。
現代哲学となると、まさに我々が活きている時代の話であり、私自身が哲学に興味が薄かったこともあり、哲学者の名前も内容もよく分からない状況にある。「哲学の歴史を知る」の区切りとして、最後に現代哲学と東洋哲学についても触れておくこととする。 

⑤現代哲学Ⅰ(19~20世紀)
現代思想では、近代の哲学を否定する動きが多く起こった。産業革命後に信仰の土台が揺らぎ、ニヒリズムの蔓延を予測したニーチェは「神は死んだ」と宣言。「私」という意識とそこから到達する真理に注目し続けた近代哲学をひっくり返したのが、フロイト「無意識」の発見だった。
誰にとっても共通する一般的な真理ではなく、一人一人それぞれの真理を探究し、主体的に生きることが求められる「実存主義」キルケゴールハイデガー、サルトルといった時代の旗手たちに支持された。
この時代は、第1次世界大戦、第2次世界大戦といった戦争が、哲学者たちにも暗い影を落としていたことが大きな特徴である。ラッセルは第1次世界大戦で戦争反対を唱えて投獄され、その弟子であるウィトゲンシュタインはその戦争に従軍、最前線で生きるか死ぬかの経験をしたことにより、自身の哲学に新境地を見出した。フッサールはユダヤ系学者として迫害され、ハイデガーはナチスに入党、支持したことで戦後に強い非難を受けるに至った。サルトルは戦後も長く反戦運動を続けたことで知られている。 
           
⑥ 現代哲学Ⅱ(20~21世紀)
科学技術の発達により、大変革を遂げる現代社会では「ポスト構造主義」を始めとする、多様化する価値観を体系づけ、言語化する哲学が主流となっている。
20世紀は各地で大規模な戦火が巻き起こった。この混乱によって、新たな価値、倫理を体系づける必要に迫られた西洋哲学は、独自の展開を見せ始めている。
戦後の60年代になると、人間の価値観、視野はますます広がり、他分野の学問の成果を加味した「構造主義」が現われた。続いて、その体系を批判しながら発展した「生の権力」論のフーコーや、西洋哲学全体を再検討するデリダ、数学の概念を哲学に転用したドゥルーズらの「ポスト構造主義」も登場。また80年代以降も、東西冷戦構造やその終結、世界各地に地域紛争、グローバル化による各国の文化の軋轢、インターネットの普及、エイズの世界的流行などを背景に、グローバリゼーションに一石を投じたネグリ、「コミュニケーション論」を唱えたハーバーマス、「共同体主義」を主張するサンデルなどの論者が、多様化する世界の価値観を言語化しようと試みをしている。その後も、こうした思想や学問の発展に伴い、「思弁的実在論」の代表的論者メイヤスー等の「ポスト・ポスト構造主義」が出現するなど、西洋哲学は進化し続けている。 

⑦東洋哲学(BC5~)
紀元前の古代中国で登場した思想は、インド生まれの仏教と対立しながら、様々な解釈を生み出した。それに西洋哲学の論理を織り交ぜたのが日本独自の哲学である。
東洋の文明の中心地であった古代中国では、紀元前6世紀頃から、孔子孟子、荀子が確立した儒学老子を始祖とする道教孫氏の兵法、韓非子の法の思想など、様々な立場の思想が登場した。これは人間が生きていくための精神的な方法論というだけでなく、群雄割拠する大小の国々が、封建体制の国体を維持するための論理体系という側面もあった。一方、同時期のインドでは、支配原理のバラモン教に対して、仏教などの思想や宗教が発生。中国に伝播した仏教は、その思想的体系性がゆえに、儒学などと対立した結果、朱子学が現われた。こうした様々な思想が混在する中で生まれた多くの解釈は、各地で体系を確立していった。
これは日本でも同じだったが、明治以降、欧米哲学が導入された新生日本では、これらの東洋的な思想・宗教の考え方を西洋哲学的に体系化しようと試みてきた。仏教思想と西洋哲学を融合させた西田幾太郎、西洋哲学で日本を把握しようとして九鬼周造、近世の個人主義的人間観から脱却しようとした和辻哲郎など、近世日本型の独自の哲学を導こうとした。