■哲学を考える③ 苫野一徳著「はじめての哲学的思考」(2)

前回に引き続き、熊大教育学部准教授・苫野一徳著の「はじめての哲学的思考」を読んで感じたことをコラムで紹介する。

③自然哲学から自然科学に発展 :さまざまな疑問を多くの哲学者が探求して、ソクラテス、プラトン、そして万学の祖・アリストテレスの時代に、ギリシャ哲学は神から離れて発展していった。その後のローマ帝国の時代に入ると、中世哲学は、キリスト教支配下で支配を補完する役割をする「哲学の暗黒時代」を迎えたが、この時代に自然哲学が自然科学(生物、地球、天文、物理など)に発展していった。
近世ルネッサンス時代に入ると、宗教改革などが行われ「神の教えが中心」の考え方から、「人間が中心」に変わり、「人間の意識や存在」が論じられるようになっていった。そして王権政治の近代哲学時代にルソーやヘーゲルが出現し「民主主義の源流」が起こったようである。一方で科学の発展で産業革命が起こり、貧富の差が拡大、多様化していく中で現代に繋がっている。






④哲学と科学の違い :「哲学と科学は何がちがうのか?」という問いに、筆者は「哲学が探求すべきテーマは、真善美をはじめとする、人間的な“意味の世界”である。意味や価値の本質こそ、哲学が解き明かす問である。」に対し「科学が明らかにするのは“事実の世界”のメカニズムである。天体の法則や人体のメカニズム、脳の働き、DNAの仕組みなどである。」と言っている。
哲学が探求する“意味の世界”は、実は科学が探求する“事実の世界”に原理的に先立つものである。例えば「核分裂の技術で原子爆弾をつくる:“事実の世界”」の議論の前に、「原子爆弾は人類に何をもたらすか?:“意味の世界”(共通了解:定義付け)」が必要である。哲学的思考とは、こうした物事の本質を明らかにする思考の方法である。

⑤哲学的思考の奥義:哲学的思考の一歩手前に2つの注意点がある。
一つは「一般化のワナ」に陥らないこと。誰もが今までの自分の知識・経験・技術を基に考えるが、それを過度に一般化しがちである。「自分の信念は独りよがりな考え方かもしれない」ことを自覚した上で話すことが大切である。
もう一つは「問い方のマジック」いわゆる二項対立的な問い方に留意すること。二つの考え方を提示して「どちらが正しいか?」を提示しても、どちらかが絶対に正しいことは殆どない。従って、欧米で行われているディペート(帰謬法活用対話)は、勝負を競うもので、哲学とは関係ない世界である。哲学の世界では超ディペート(共通了解型対話)で矛盾を解決する第3案を見出すような建設的な対話が望まれる。

このあと、第3部「哲学対話と本質看守」で、超ディペート(共通了解型対話)の具体的実践例などが紹介されているが、私からの紹介はここまでとする。
この本から多くのことが学べたが、著者は教育学博士であり専門の「教育哲学」的視点をベースに哲学を捉えていることが分かった。いろいろ調べてみると哲学の分野は多様であり、どのようになっているかも調べておく必要性を感じている。