■哲学を考える② 苫野一徳著「はじめての哲学的思考」(1)

私の仕事柄もあると思うが、私自身の知識習得のやり方が「広く、浅く」で長年やってきたために、「狭く、深く」が苦手になっているように感じている。
もともと私は技術屋で、社会人となって専門分野(電子部品開発)の「狭く、深く」から始まったが、33歳に台湾出向したことでマネジメント(海外子会社の製造部長、設備メーカーの工場責任者)の「広く、浅く」にシフトして、50歳で脱サラして経営者の相談役(経営コンサル)という更に「広く、浅く」として生きてきたことになる。振り返ってみると、もともと「狭く、深く」は性に合わないのではないかと、最近は感じている。

哲学的思考とは「ものごとや問題の本質を徹底的に考え抜いて解き明かす。」という「本質追及」の手法であり、また「部分最適ではなく全体最適を目指す」という「狭く、深く」ではなく「広く、深く」を目指すことが必要である。
私自身は、人生の最終仕上げとして、新たな生き方を探し始めている中で、ソクラテスの言葉にある「無知」であることを強く感じており、哲学を学ぶ必要性を感じた気がする。今からの人生で、「狭く、深く」を目指すことは時間的に許されないので、哲学を「広く、浅く」目指したいと考えた次第である。

「哲学と宗教全史」を読み始めていく中で、この本を読む前に、「哲学とは?」について、もう少し分かっておく必要性を感じた。そのためにウェブ検索していた時に、熊大教育学部准教授の苫野一徳氏のレポートに出会った。そして哲学の入門書になりそうな著書「はじめての哲学的思考」を見つけて、早速、読んでみることにした。

この哲学の入門書の中で、もっと役に立ったのは、第1部「哲学ってなんだ?」の部分である。この中では、「哲学と宗教と科学」の関係について述べられており、非常に頭の整理に役立った気がする。
①はじめに宗教ありき :農業社会が始まり人間が集団化していく中で、人間の間でさまざまな争いごとが発生していたが、人々は秩序ある集団化を望み、その実現のために人間の智慧で、宗教を生み出したと考えられる。アニミズムから始まった宗教は、原始時代の人類が、自然を合理的に理解するためにつくり出したものであり、神話や儀式を共有することで、集団を強固に結び付けたりしてきた。そして全ての不思議な出来事は「神がつくった」「神が決めた」「神の思し召し」などとすることで、すべて納得する思考停止状況にあったと考えられる。
ゾロアスター教から始まった宗教は、徐々に世界各地に広がっていき、異なる宗教や宗派間の激しい命の奪い合いや領土の奪い合いが繰り返されてきた。

②自分で考える人(哲学者)の出現 :古代ギリシャ都市国家の時代に、ポリスに様々な賢者が集合し議論を重ねるようになり、全てを神(ギリシャ神話)に依存するのではなく、自分たちで考える時代を迎えた。「どうしたら戦争のない社会をつくれるか」などを含めて、様々な真理を自分達で解明しようと考える人が出てきたわけだが、哲学の始祖といわれるターレスが出現したのも、そのような時代背景にある。彼は理性を駆使して宇宙や世界を構成する「万物の根源」を探求し、「万物の根源(アルケー)は水である」とし、その原理を追求した。それらに刺激を受けた後継者たちがそれを発展させてきた。