■資本主義と社会主義、その先にあるもの①
資本主義と社会主義という言葉については、中学生の頃に社会科で学んだように記憶している。それぞれのイメージは掴んでいたが、社会科にはあまり興味がなく、深掘りすることもなかった。
今、社会は大きな変革期を迎えていることを感じており、数年前から未来予測を考えることも増えたが、その際に「資本主義とは?社会主義とは?」を改めて考えるようになった。
資本主義とは、アダム・スミス(英)が「道徳情操論や国富論」で提唱した自由な競争社会、「生産手段の私的所有及び経済的な利潤追求行為を基礎とした経済体制」をいう。その結果、企業間の競争や経済格差が発生するようになるが、「神の見えざる手」に導かれ、市場における自由競争が最適な資源配分をもたらすとの考えであり、これは人間の倫理・道徳観(性善説)の確立が前提となっているように感じる。
現実的には、資本主義に基づく経済は誰かによって計画・管理されるものではないので、所得格差・失業・恐慌など様々な問題を発生させてしまう。これら資本主義の欠陥が生み出す諸問題に対し、政府は経済への介入や政策の実行によってその解消・緩和を図るべきだとする考え方が修正資本主義である。現在の先進資本主義国は程度の差こそあれ修正資本主義を採用している。(ケインズ(英)「国家の経済活動や規制導入によって資本主義が生み出す諸々の問題を回避するとともに、社会政策や租税の賦課でもって所得格差を緩やかにすることができる。」、バーナム「所有と経営の分離」などの導入)

アダム・スミス     国富論  

ジョン・ケインズ   ケインズ経済学

カール・マルクス
社会主義とは、マルクス(独)が資本論の中で提唱した平等な社会、「生産手段および財産の共有・共同管理・計画的な生産と平等な分配を行う経済体制」をいう。その結果、企業間競争がないために各人の向上心までもが阻害されてしまう。マルクスの思想は共産主義であるが、これも理想論だったために実現に支障があったために、国家としては修正共産主義である社会主義が実現されていることになる。
時間経過とともに、社会主義国家は資本主義国家に比べ、経済力や国力の差が徐々に顕在化していった。国民の労働意欲の減退や旧態依然の商品流通などに加えて、まともに働かせるために国民への圧制が強まっていった。1917年にロシア革命が起きソヴィエト連邦が誕生し、その後東南アジアや中国などでも社会主義国が誕生していったが、ソ連の崩壊、東西ドイツ統合なども起こった。その結果、社会主義体制は崩壊したり、修正されて生き残り現在に至っている。
資本主義経済と社会的経済のどちらが良いのかと言えば、間違いなく「資本主義経済」である。その理由は、人間の持つ欲望にうまく合致したシステムだからである。
アダムスミスが「倫理道徳」や「人間とは」に関して述べている言葉がある。
「倫理観というタガがないと、資本主義は暴走する。暴走を止められるのは、人間の倫理観である。」「人間とは現来、怠惰で無精で経卒、浪費家である。時には善人にもなれば、悪人にもなる。時には聡明だが、それ以上に愚かな存在なのだ。」
人間の存在が、理想的な社会づくりを阻害していることを痛感している。
資本主義と社会主義は修正していく必要があるが、「その先にあるもの」として深掘りする中で、改めて気づいたことがある。
⦁ 企業のグローバル化とデジタル技術の急激な進化により、資本主義経済も従来の仕組では機能しなくなってきていること。
⦁ 社会主義国でやってきたはずの中国(共産党)が、資本主義国家よりも効率的な独自の社会体制を構築していること。
次回に続く