座禅を始めて⑤
今後の生き方について、なかなか整理できないでいる中、キッカケになる本を探しに町中の本屋に探しに行った時に、「手放す生き方」(著者:曹洞宗徳雄山健功寺・枡野俊明住職)という本を見つけ、「まえがき」を読んで購入することに決めました。
枡野住職が書いた書籍が10種類以上書棚に並んでおり、更に興味が湧いたので、著者のプロフィールも調べてみて、やはり異色の住職であることが分かりました。
枡野住職は庭園デザイナーで多摩美大環境デザイン学科教授、ブリティッシュコロンビア大学特別教授という珍しい複数の肩書の方です。大学も仏教系とは関係のない玉川大学農学部を卒業したあとに、大本山総持寺で修行したとのこと。禅の思想と日本の伝統文化を基調として「禅の庭」の創作活動で、国内外から高い評価を得ており、2006年のニューズウィーク誌日本版にて「世界が尊敬する日本人100人」にも選出されているそうです。

非常に分かりやすい表現でこの本は書かれており、一気に読み上げましたが、そのエキスでもある「まえがき」部分を紹介しておきたいと思います。

「心の掃除」というのは「部屋の掃除」に通じるものがあります。実際、私たちは部屋の掃除をしたあと、自分の心が軽くなり、清々しい風が吹き込んできたかのように感じます。
いつも心がそういう状態であれば、「ここちよい日々」を過ごすことができます。しかし実際は、部屋にはいつのまにかモノが溜まり、日々の清々しさから遠ざかり、心の中は「うっとうしさ」に占領されます。そのイライラした心を解消するために、何をするかといえば、またモノを購入するのです。より便利な生活、より贅沢な生活、より快適な生活を求めて・・・・・そして気が付けば部屋中にモノが散らかり足の踏み場もありません。不要なモノに囲まれて、心はいつもザワザワしています。モノがあればあるほど、心は貧乏になるかのようです。私は本書で「手放す」ことをお勧めするつもりです。

いったん身の回りのあれやこれやを手放してみましょう。そうすると、自分の生活にとって、なくてはならないモノは何かが発見できます。
そのモノを大切に慈しみながら使っていこうという、温かい心も生まれます。
もし壊れたり、古くなったりしたとしても、また別の何かに使えないかと工夫してみる。新しい命を吹き込めないかと考える。

茶人の千利休は、吞み口の欠けてしまった茶碗でも捨てなかったそうです。茶碗として用をなさなくなったのですから、捨てても構わないのですが、何か別の用途に用いられないかと考えました。
と、花瓶に使ってみたらどうだろう・・・・・と思いつきました。花を差してみると今までにない趣があります。茶道では、これを「見立てる」といいます。
あるモノを、全く別のことに用いることで、新しい趣向を創り出す。
その底流にあるものは、モノを大切にする、あたたかい心です。また常識に囚われない豊かな想像力です。

人と人とに縁があるように、人とモノにも縁があります。
縁を大切にするのは、自分を大切にすることでもある。――禅の考え方です。
たくさんのモノがあるのが幸せなのではなく、少しのモノしかなくても、それらと強い縁で結ばれているのが幸せなのです。
たくさんのモノを「抱え込む」よりも、手放すほうが幸せになれる。身の回りのわずかなモノを慈しんでいると、心が整理され、「心地よい日々」になる――私が本書でいいたいことです。