■座禅を始めて④ |
中山住職の講話の中で、澤木興道老師について「禅も、今は形優先になる傾向にあるが、禅の理論より実践から始めた人」として紹介を受けました。 「何にもならんもののためにただ座る(只管打坐)」「禅とは真実を求めるのみで、始めも終わりもなし(ありのままで)」「科学の進歩で多くの人の悩みが増えた。今は科学に人が使われている」「本当に自己を持ち、自己の生き方をする」「ものを持つから争いが起きる」などの非常に刺激的な言葉を学びました。 澤木老師が熊本に縁のある人だと聞き、また気になる存在だったので、少し調べてみることにしました。 三重県津市に生まれ、4歳で母を、7歳で父を亡くし、澤木文吉の養子となる。1897年に出家を志して永平寺に入り、1899年に出家するも、兵役に取られ、日露戦争に従軍して負傷する。退役後、佐伯定胤に唯識を学び、丘宗潭の命で熊本県の大慈寺に入り、旧制第五高等学校の生徒に坐禅を指導する。 1922年43歳のとき大慈寺を去り、熊本 大徹堂に入った。1923年には万日山に引っ越し、移動叢林(いどうそうりん:全国の有縁の人達の処に出向いて無所得無所悟の純粋なる禅を指導すること)を始めた。 これより、各地の道場を転々とし、「移動僧堂」、「宿無し興道」と称された。1935年に總持寺後堂職となり、駒澤大学特任教授も兼任して、鎌田茂雄や酒井得元を始めとする学生の坐禅指導を行い、それまで選択科目であった坐禅を必修科目とさせ、徹底した坐禅教育を行った。 「何にもならんもののためにただ坐る」という只管打坐を貫き、その一生を通じて実践して見せた。 |
澤木興道 老師 大慈寺 |
澤木興道と弟子丸泰山の木像 |
現在、その思想、指導方法はアメリカのスタンフォード大学にある曹洞禅センターにも受け継がれている。 このほかにも、栃木県の大中寺に天暁禅苑を、京都府の安泰寺に紫竹林参禅道場を開き、坐禅の指導に当たり、駒澤大学退任後は、安泰寺で弟子の内山興正と共に後進の指導に当たった。 なお、駒澤大学の禅文化博物館には、禅堂より移転した澤木興道の木像が弟子の弟子丸泰仙の木像と共に安置されているほか、大学図書館には蔵書が澤木文庫として保管されている。 遺体は死後に献体された。 1880(明治13)年生誕~1965(昭和40)年逝去(85歳)。 |
澤木興道老師が残した言葉の中で、印象深いものを紹介しておきます。 ●科学は人からモライモノの上にツミカサネがきくからどんどん進歩しよる。それに反し人間そのものは、人からモライモノできぬし、ツミカサネもできぬから、ちっとも偉うならぬ。だから頑是ない餓鬼が凶器をふりまわすような格好になって、危なうて仕様がない。 ●天地も施し、空気も施し、水も施し、植物も施し、動物も施し、人も施す。施し合い。われわれはこの布施し合う中にのみ、生きておる。ありがたいと思うても思わいでも、そうなのである。 ●ケツの穴だからというて卑下せんでもいい。足だからというてストライキやらんでもいい。頭が一番エライというのでもない。ヘソが元祖だというて威張らんでもいい。総理大臣が一番エライと思うているからオカシイ。目の代わりを鼻ではできぬ。耳の代わりを口はできぬ。みな天上天下唯我独尊である。 時代を超えた本質を見抜いている聡明な人だと感じました。 感謝! |