■座禅を始めて①

私の家系は浄土宗(山鹿市にある長源寺の檀家)ですが、私自身は「葬儀は仏教で行い、クリスマスはケーキで祝い、正月は神社に参拝する」という名ばかりの仏教徒です。
人生の転換点を迎えていることもあり、昨年末から新たなチャレンジとして曹洞宗・浄国寺で、毎週木曜日の座禅会に参加しています。
昨年末に、近くにある曹洞宗・浄国寺での参禅会に初参加。脱サラした二十数年前に、大慈禅寺で参禅したことがありますが、それ以来で全く初心者と同じ状況でした。
作法もよく分からないまま、約40分間(一チュー)の座禅開始。「靴下履いたままだ」「スマホをポケットに入れっぱなし」などつまらぬことを思いながら、いつの間にか何も考えない時間帯に入り、終わりに般若心経を唱えて座禅修了。その後、住職から禅に関するお話を30分ほどいただきました。「八大人覚」に中の「少欲」「知足」「遠離」「精進」「不忘念」「禅定」までの話でしたが、非常に多くの気付きを受け、「今からは、静かに自身と対話する時間を持とう」と思った次第です。中山住職とも初めて話をしましたが、非常に自然体の方であることが印象的でした。
そこで座禅と中山住職から自然体を学ぶために、毎週木曜日の浄国寺での参禅を習慣化することに決めました。



これを契機に仏教・特に禅宗について、少しでも理解を深めたいと考えています。浄国寺に置いてある曹洞宗のパンフレット複数を入手した中に、「仏教の教えとは」 「禅宗とは」について分かりやすく書いてある文を見つけました。出だしに相応しいので、ここに紹介し、先の展開に繋げたいと思います。

仏教の教えとは

仏教は今から二千五百年ほど前に実在したお釈迦様を開祖として説かれた教えです。お釈迦さまは仏陀(ブッダ)とも呼ばれ、これには「悟った者・心理に目覚めた人(覚者)」という意味があります。
この世のあらゆるものは、因があって縁(条件)があって結果が生じます。例えば、種があるから花は咲きます。でも水とか天候などの条件がないと芽は出ません。人間も同じです。人間も縁によって生き、縁によって変われる生き物です。善や悪もすべては私たちの思いや行動から生まれてきます。良いことを行えば良い結果が得られ、反対に悪いことを行えば悪い結果しか得られません。そして自分の行動は自業自得です。(善因善果、悪因悪果、自因自果)仏教ではこれを「縁起の法則」と呼んでいます。さて、自分の「いのち」は無条件に与えられるお任せの世界ですが、自分の「こころ」は自分で選ぶことができます。このとき、選ぶという行為を仏の智慧によって真実を選択していける方向に向けていくことを仏縁といいます。ここに仏教の存在意義があります。
他の宗教は、幸福とは天国に生まれることだと言います。仏教は、「今ここ」で、今生で幸せになることができる、と言うのです。仏教の大きな特徴に、救いを他者に求めるな。それを得るための自己信頼を育てよ。「大般涅槃経(だいはつねはんぎょう)」という教えがあります。「誰かにすがるのではなく、よく整えられた己にこそ頼れ」というのです。仏教とは、平たく言えば「自分が仏になるための教え」です。
お釈迦様の説いた教えに従って、僧侶や在家信者それぞれの立場で修行・実践して悟りや解脱(涅槃)を成就することを曹洞宗は目標としています。
次に続く