■故山本先生と山本高広氏のこと① |
今から10年ほど前に、織田裕二のものまね「キター!」などでブレークしたものまね芸人・山本高広をご存じの方も多いのではないかと思う。 私が尊敬する北九州の中小企業診断士・山本博一先生(故人)のご子息である。彼が有名になってから、テレビ番組の家族紹介に山本先生ご夫妻が出演されていたことで、初めてそのことを知った次第である。 山本先生はあまり冗談も言わずに、いつも誠心誠意に真剣勝負で仕事をされている方であり、芸人の息子がいることはとても想像すらできなかった。 |
山本先生とのご縁は、私が中小企業診断士の2次試験に通り、3次実習の時に担当教官になっていただいたことからである。私はモノづくり企業を脱サラしたばかりで、製造現場について詳しい方だと思っていたが、山本先生の製造業に対する診断指導能力に驚かされた。そして診断士になってから、山本先生が主催されている北九州での勉強会に無理を言って参加させていただき、約2年間、北九州まで通ってたくさんの勉強をさせてもらった。その後も、私が県中小企業支援センターPM時代に、専門家として多くの熊本の企業を指導いただいたり、若手経営者育成の共育塾にも1期生の時から講師として協力いただいたり、幅広い交流をさせていただいた。交流が進むに従い、ものごとに対する価値観も非常に近いこともあり、二人の信頼関係も強まっていった。 |
私の師匠であり、ある意味では同志のような存在でもあった。中小企業庁から企業再生の専門家探しの相談を受け、山本先生を紹介したところ、双方の考え方が合致して1章分を山本先生が担当し、完全差し替えして書籍発行することになったこともある。 |
共育塾8期生の時に、山本先生から「今年までで共育塾の講師を辞めさせてほしい」との強い意思表示があり、平成27年7月11日の講義「企業における諸々の経営課題と問題解決能力」をしていただいた。今までお世話になってきたので、最終回のあと熊本での観光案内をする予定だったが、「できれば早く帰りたい」とのことで熊本駅までお送りしたが、これが最後の別れとなった。 その後10月になってから、福岡県診断士協会の槇本会長から「山本先生が先月亡くなった。奥様から熊本の横山にそのことを伝えたいとのことで、繋がせてもらった。」との電話をいただき、大きなショックを受けたことを今でも覚えている。亡くなられたのは9月24日とのことで、来熊いただいた2か月後であり、来熊時も相当きつかったのではないかと思った次第である。 |
早速、北九州までお参りに伺い、奥様から亡くなられる間際の話を聞かせていただいた。「仕事関係では横山先生の話が多く、他の先生の話は出てこなかった。横山先生を信頼していたようだ。亡くなる前日まで、横山先生に連絡をしなければ・・・」「今から事務所の整理もしなければと考えているが、横山先生に力になってほしい」などなどの話があった。 |
その後に、北九州の村田先生や熊本の関係者と合わせて4人で事務所の整理を手伝ったりしたわけだが、自分に置き換えた時に、いつか事務所の整理整頓(断捨離)をしておくことの必要性を改めて痛感した次第である。 その後しばらくしてから、「山本博一の息子の山本高広です。このたびは、いろいろお世話になりありがとうございました。いつか熊本に行った時に、是非、お会いして父のこともいろいろ教えてほしいと思っています。今後とも、どうぞよろしくお願いします。」との電話があり、その後はショートメールで時々、山本高広氏と連絡をするようになった。 そして山本高広氏と、熊本で7月に会食することになった。(次回に続く) |