■光陰矢の如し
光陰矢の如し」 :月日の過ぎるのは、矢が飛んで行くようにはやいというたとえ。光は日、陰は月のことで、光陰は歳月を指す。 月日はすぐに過ぎ去ってしまい戻ってはこないという意味があり、日々を無為に送ってはならないという戒めを含む。 出典は中国の唐代中期に活躍した詩人・李益の游子吟とされる。また類似の言葉に、中国の儒者・朱熹の「偶成」と題した詩で「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず地塘春草の夢、階前の梧葉、己に秋声。」と詠っている。この中に「もはや残り少ない人生だからこそ、ほんの瞬きする刹那ですら、時をおろそかにしてはならないのだ。」

ジャネの法則」 :以前もコラムに取り上げたことがあるが、19世紀のフランスの哲学者・ポール・ジャネが発案し、甥の心理学者・ピエール・ジャネの著書において紹介された「ジャネの法則」がある。
主観的に記憶される年月の長さは、年少者にはより長く、年長者にはより短く評価されるという現象を、心理学的に説明したものである。簡単に言えば、生涯のある時期における時間の心理的長さは年齢に反比例する
50歳の人間にとって1年の長さは、人生の50分の1ほどであるが、5歳の人間にとっては5分の1に相当する。よって50歳の人間にとっての10年間は5歳の人間にとっての1年間に当たり、5歳の人間の1日が50歳の人間の10日に当たるということになる。私は今年6回目の年男で、すでに72歳を迎えた。






数年前から、これらの言葉を聞くと「まさにその通り」と強く実感するようになっている自分に気づいている。
1日があっという間に過ぎ去る。1週間が、1か月が、1年が本当に短い。
やりたいことが山ほどあるのに、これではあまりにも時間が足りないのである。
やりたいことをやり尽くすことはできないと分かっているが、寿命を意識し始めているせいか、ある意味での焦りすら感じ始めている。以前、幻魔大戦(平井和正著)というシリーズ小説を読んだことがあるが、まさに「(ハルマゲドンを阻止するための準備の)時間が足りない」を、どのシリーズでも連発していたのを思い出した。
現在の情報革命による社会激変の先にあるのとして、この書籍に書いてあったハルマゲドンという言葉を思い出した。ハルマゲドンとは、「世界の終末」とのイメージがあったが、調べてみると「《ヨハネの黙示録》で、世界の終末に際して善と悪との最終決戦が行われる場所を指して用いられた言葉。」とのこと。

いろいろ考えながらも、やりたいことを順位付けして、緊急度、重要度に応じて優先順位をつけて、「やれることをやっていくしかない」のかもしれない。
脱サラ以来二十数年間、次年度の目標設定を前年の10月~12月にかけて検討し、正月に「今年度目標」を仕上げることを継続してやってきている。
今年も、その時期に来ており、いろいろと頭を巡らし始めているところである。
この六年間は、トップ項目として「家内と一緒に、日々の生活を楽しむ」をあげてきているが、こればかりは今から先も、このまま継続していくことになる。
今年もあと2か月半となったが、やりたいことを書き出して具体的実施項目を洗い出し、それらを5大項目に集約設定し、最終的に1年の活動コンセプトをつくっていく。
この2か月半をワクワクした気持ちで目一杯、思考を巡らして楽しみたい。
感謝!