■いま思うこと④ :ライフワークについて

 前回のコラムの最後に、
大病を経験したことで、「家内への感謝の気持ち」と「次世代へのバトンタッチ」を強く意識するようになった人生の転機であり、ライフワークとしての「家内孝行」と「次世代人材の育成(次世代へのバトンタッチ)」の思いが更に強くなったように思う。と書いた。
「次世代人材の育成(次世代へのバトンタッチ)」について、筆を進めたい。
私の次世代人材育成に関与するキッカケは、県支援センターPMの時に、創業・ベンチャー国民フォーラム(江崎玲於奈会長)から起業支援家部門会長賞をいただいたことにある。同年に経産局の支援を受け、九州での起業家支援人材(IM)の相互研鑽の場/九州BIPを、長崎のIMと一緒に立ち上げた。私は「相互研鑽の場」は「次世代人材育成の場」でもあると思っており、その後も様々な「次世代人材育成の場づくり」を行ってきたが、それぞれに思いはあるものの、うまく継続できなかったものもあるが、それらを時系列で列挙してみる。
継続中の ①九州BIP(IM集団)、②NPO地域診断士研究会(若手診断士)③共育塾(若手経営者塾)④九州志士の会(士業集団)⑤肥後創成塾(熊本市・学園大)⑥九州志士の会熊本支部(士業集団)⑦熊志共育塾(ステップアップ経営者)
活動停止 ①新現役の会熊本たまご支部、②士業信金研究会(事例研究)、③企業支援力向上研究会(事例研究)
その中でも特に「強い思い」がある3つの場について触れてみたい。

①NPO法人 地域診断士研究会(12年目)
支援センターPMとIM活動がキッカケで、東京はじめ北は北海道から南は沖縄まで活動する場をいただき、年中無休で面白く仕事をしていた頃の話である。某企業内診断士から「横山さんは何故熊本にいて、全国的な活動をしているか知りたい診断士が多くいる。是非、教えてほしい。」との話があり「自分の恥をさらす面もあるが、お役に立つのであれば・・・」ということで、企業内診断士を中心に、2006年に地域診断士研究会を立ち上げた。
最近は自主勉強・研究会活動を中心に、図書館での「起業経営相談会」なども行っている。発足時は企業内診断士が殆どだったが、いつの間にか「よろず支援拠点」「県経営支援サポートオフィス」「市企業支援センター」「インキュベータ」や「県診断士協会」「九州志士の会」等の要職で活躍する集団になっているのは嬉しいことである。今年は日本政策金融公庫・熊本創業支援センターとの共催で、起業セミナー「熊本モデル」の立ち上げを行ったが、来年以降も共催で継続実施していくことになった。今年から村橋さんが4代目代表としてステップアップを目指している。
②少数精鋭「共育塾」(10期生)
私の思い入れが最も深いのは「共育塾」である。共育塾の原点である「人はみな無限の可能性を秘めている」は、私が13年間お世話になった平田機工㈱の故平田会長がよく口にしていた言葉であり、共育塾の根底に流れるものである。
キックオフ時に必ず、この「共育塾の原点」を塾生と共有するようにしている。共育塾は「相互研鑽の場」「常時交流の場」「外部刺激の場」「訪問実感の場」の4つで構成、それらを綜合して「共育システム」と呼んでいる。
大病後、私が共育塾のバトンタッチを強く意識していた時に丁度、奈須さんから「共育塾を引き継ぎたい」旨の話があり、長期継続を実現すべく5期生の時に副塾頭に、そして7期生から塾頭を交代した。(横山はメンターで側面支援)
受講生もいつの間にか10期を数え、49社67名になった。県起業家支援センターの出資を受けた企業が5社、2火会で発表した企業も5社に増えたことも嬉しい限りである。
③熊志共育塾(2期生)
もう一つ「次世代へのバトンタッチ」で伝えたいことがある。それは平成24年8月7日に平田会長が急逝されたことに纏わる話である。
この時に平田会長の絶筆「共育塾5期生のみなさんへ」が私に託された。この「次世代経営者への遺言」を熊本の若手経営者にどのように伝えるか、いろいろ悩みながら考えた。最初は共育NWメンバーをオフィスに呼んで当文書を渡し、故平田会長が若手経営者に伝えたかった話をしたが、短時間では当文書の奥にある思いを、なかなか伝えきれない事実に直面した。
そこで無謀ではあったが、「託されたことを次世代に伝える」使命感で「平田耕也氏から学ぶ」塾/熊志共育塾をつくることにした。カリキュラム作成に当たっては多様な調査を行い、試行錯誤を繰り返しながら2年半かけて開発した。今年は2期生(昨年は1期生)が「平田耕也氏から学ぶ」を、1期生は「立石一真氏から学ぶ」を塾生が刺激と気付きを自分ナイズしているところである。