■中国人の考え方について②
 
 前回、事例をあげたように、
中国人の国内・国際的な考え方・やり方に対して、長い間、日本人としては理解できないことがあまりにも多すぎるように感じてきた。
以前から中国の対外政策について、日本人の価値観からすると「なぜ?」と思うことが多く理解に苦しんでいたが、中国の歴史、韓国の歴史を含めていろいろ調べていくうちに、少しづつ分かってきたことがある。
その根底にあるのは、漢民族の歴史的価値観である「中華思想」ではないかと思う。 



 ウィキペディアで調べてみると、
中華思想は、中国王朝が宇宙の中心であり、その文化・思想が神聖なものであると自負する考え方で、漢民族が古くに持った自民族中心主義の思想。自らを夏、華夏、中国と美称し、王朝の庇護下とは異なる周辺の辺境の異民族を文化程度の低い蛮族であるとして卑しむことから華夷思想とも称す。 ただし「漢民族」の意味が古代と現代では異なる点には留意が必要である。現在の中国は漢民族と55の少数民族から構成される多民族国家である。 古代のオリジナルの漢民族(華夏族)は黄河文明に住む極めて限られた民族にすぎない。
中華思想を分かりやすくいうと、「中国の皇帝が世界の中心にあり、世界のすべては中国皇帝の所有物(お前のものは俺のもの、俺のものも俺のもの)である」ということらしい。
学生時代に学んだ中華思想そのものは知っており、だいぶ昔の時代の話にすぎないと思っていたが、今回いろいろ調べる中で、これほどまでに根深いものであると再認識させられた。

 話は変わるが、
現在、ベストセラーになっている本にケント・ギルバートが書いた「儒教に支配された中国人と韓国人の悲劇」という本があり、その中には「2度にわたる焚書坑儒(秦の始皇帝の焚書坑儒、毛沢東の文化大革命)や儒学を支配者統治の道具にしてきた歴史の中で、中国人や韓国人のメンタリティーは、儒教の教えを、独自の偏った解釈で活用してきたことに根源的な影響を受けている。それは長年の歴史に培われた中華思想に加えて、儒教の自己中心的な側面だけが思想として残っているといえるようだ。
従って私は、この本に書かれているように儒教思想そのものが問題なのではなく、儒教の一面を取り入れた中華思想により、長い歴史の中で培われた根源的なメンタリティがあるのではないかと考えた。 


一方で日本では、先ず古来よりある神道に仏教思想を取り入れ、それに加えて儒教の倫理・道徳的な面を重視して取り入れて、日本独自の思想を創り上げているために、中国や韓国とは全く異なる独自のメンタリティーを形成していると考えた。
「中華思想のバックボーンに儒教の性悪説を取り入れた大陸・中国」と「神道のバックボーンに儒教の性善説を取り入れた島国・日本」とは、全く異なるメンタリティーや伝統文化を形成しているのであろう。