日本精神の考察②

 日本精神に多大な影響を与えた思想(哲学・宗教)には、日本古来の神道に加えて、大陸から渡ってきた仏教や儒教、道教の存在がある。いろいろ調べていくと、中国には三大宗教として仏教、儒教、道教(陰陽道を含む)があり、ことごとく日本に伝来し、日本の支配層が、それら外来思想を人民統治の手段として活用・浸透してきた歴史があることを再認識した。
そういうことで先ず、中国の思想史から整理してみることとする。
 

 中国には夏王朝(紀元前21世紀~)の頃より、漢民族の土着的・伝統的な宗教があったようだが、周王朝が弱体化した春秋戦国時代(前8世紀~前3世紀)には、乱世が続く中で諸子百家と呼ばれる多様な思想家集団が活躍していた。この時代を起点として、多様な中国思想が発展確立されていったようである。
百家争鳴という言葉は、この諸子百家から出ており、漢書には百八十九家が記録されている。諸子百家は六~十学派に分けて整理されているが、今回はその中の道家と儒家の二つの流れに絞って紹介する。(他に、兵家:孫子の兵法の孫子/法家:性悪説の韓非子/墨家:非戦博愛の墨子などがある。)
では中国3大宗教で、日本精神にも深く影響を与えている外来の仏教、孔子に始まる儒教、そして土着的・伝統的な道教について話を進めたい。  
<仏教について>
ご承知の通り、紀元前5世紀に釈迦が提唱した原始仏教は、もともとインドが発祥の地であり、その原点にはバラモン教の存在があるが、ここではバラモン教(前10世紀)への深入りはしないこととする。
中国地域への大乗仏教の伝来は、1世紀頃と推定されており、3世紀頃よりサンスクリット仏典の漢訳が開始された。4世紀頃に西方から渡来した鳩摩羅什などの高僧が現われ、旧来の中国仏教を一変させるような転機を起こす。具体的にいうと、不確実な口伝伝承から共有できる経典伝承に切り替わったのが、この時期である。後の唐代の玄奘訳の経典群に比較される程、鳩摩羅什は数多くの漢訳仏典を後世に残した。 
5世紀になると、『華厳経』、『法華経』、『涅槃経』などの代表的な大乗仏典が次々と伝来するようになり、曇鸞が浄土教を開いたりしている。東アジア特有の開祖仏教はこの時から始まる。隋・唐時代(6~9世紀)に教団的色彩を持つに至るのは天台宗と禅宗であり、それまでの儒教を中心にした統治政策から、仏教を中心にした統治政策に切り替わったようである。
 
  その頃日本は飛鳥時代(6~8世紀)であり、遣隋使等により仏教伝来も本格化して、聖徳太子が統治政策(国家鎮護)を強化するため、思想中核としてそれまでの神道から仏教を切り替えることにしていった。
7世紀の最も有名な高僧はで、彼の持ち帰った仏典は、唐・太宗の庇護を受けて、組織的に漢訳が進められ、後世の東アジア仏教の基盤となった。
8世紀になると不空が密教を大成し、急速に密教が多様な広がりをしていった。
9世紀初には、最澄と空海がともに遣唐使として中国に渡った。最澄は天台教学を学び禅や密教を相承して帰国後に天台宗の開祖となり、空海はいろいろな苦難を経て、不空の弟子・恵果と出会ったことで長期滞在し、最澄に遅れて帰国して真言密教の開祖となった。 

儒教、道教については、次回に回すこととする。