■日本精神の考察@

 日本が鎖国時代の時から、外国人から見た「日本・日本人の特殊性」のことがいろいろと言われてきた。
江戸時代に来た外国人(宣教師など)の書いた文書に、「日本人は礼儀正しい、相手のことを思いやる。争いごとにならないように折り合いをつける暮らし方を、ここの国の人は全員が共有している」と書いてある。
また「工業的技術や数学を、自分で発達させている」「したがって機械を見せると、すぐに分解して理解する」「哲学的宗教的論争では、キリスト教のほうが負ける」「民主主義ではないが、行政は知的である」「芸術は素晴らしい」「子供を大事に育てる」「武士はプライドが高い」「農民まで文字が読め、好奇心が強い」などなどと書かれた文書が残っている。
その頃の外国人は、帰国する交通手段が限られていたため長期滞在をする中で、日本・日本人社会を的確で多様な分析ができたのであろう。まさに現代の日本・日本人分析としてでも通用するような非常に鋭い観察力であると感心させられる。

 一方で、戦後から高度成長期あたりには、「日本人はハッキリと言わないので、本当はどう思っているのかわからない。」「変な時にニヤニヤと笑うので気味が悪い。」「なかなか決断をしないので、交渉に時間がかかる」などと、やっかみも含めてかもしれないが、「不気味な日本人」的な言われ方が多かったようであり、自己反省意識(自虐性)の高い日本人自身も、そう思っていた面があるように思う。しかし最近では、日本人のいい面が評価されることが増えているように感じる。東北大震災の時にも「物資配給の時に、極限状況の中でも整然と並んで順番待ちをしている姿に感動した。」「精神的に追い込まれた状況下でも、お互いに助け合いや分かち合いをする姿に驚いた。」とか、日本から中国地震の援助に行った時に、「発掘された遺体に布をかけ整列安置させた前で、応援隊が全員整列して黙祷を捧げる姿に感動した。」などの話もいろいろある。
サッカーの国際試合観戦の際も「相手チームにも惜しみない拍手を送るのには驚いた。」「ゲーム終了後に、誰に言われるわけでもなく全員でゴミ拾いを行い清掃するのに驚いた。真似をする相手チーム・サポーターも出てきた。」などと称賛の声が起こったりしている。
日本および日本人に対する理解や共感が、広がってきているように感じられる。世界中に広まっている日本のアニメや漫画を通して、日本的なものの考え方(日本精神)への理解が進んだことが、背景にはあるのではないかと思う。
私自身は、この日本人の精神性に「自信と誇り」を感じている次第である。

 今まで作成したコラムを見返してみると、日本人の精神性に関する記載が多く書いており、今年になってからも出光佐三の「日本人にかえれ」、司馬遼太郎の「この国のかたち」などもそうである。
どうも私自身が「日本人はなぜ違うのか?」「日本人は何が違うのか?」という気持を昔から持ち続け、自身に問いかけてきたことに加えて、最近はその理由が分かりかけてきたからかもしれない。
今回から「日本精神の考察」というシリーズで、日本に昔から存在した島国アニミズムから発展したものと、大陸から伝来した宗教・哲学的なものが融合されてた日本独特の文化や精神性について、述べてみたいと思う。
先ずは、次回には精神性の根幹にある宗教・哲学を通して、日本の歴史に触れてみることとする。