■この国のかたちA

 放映1日目は「外国からの異文化の取り込み」という柱についてだったが、2日目は「日本人の内面を作る精神」という柱についてである。
明治の奇跡、戦後復興の奇跡を起こしたのが何なのか?
キーワードは「日本人の内面を作る精神」であり、捉え方では「武士700年の遺産」ともいえる。
この番組のナレーションで言っていたことを中心に記載していく。
日本人は基本的に働き者であり、いつも緊張している。理由は、いつもさまざまの「公意識(社会に対する義務感)」を背負っているため、と断定していい。その原点には「武士700年の遺産」があり、鎌倉時代の武士に育まれた私利私欲を恥とする「名こそ惜しけれ」の精神が生き続けており、非常に高い倫理観を持っている。

 そして幕末、司馬が「人間の芸術品」とまで語った志士たちが、この精神を最大限に発揮して維新を実現させた。その当時の日本の政治家はじめ国民全員が汚職を嫌う清潔さと公意識を持っていた。
この精神は鎌倉時代の武士のはじまり、坂東武士(開拓農民)の「名こそ惜しけれ」(名を汚す恥ずかしいことはしない)精神、「潔さ」「自己を律し、他を大切にする」「立つ鳥跡を濁さず」が育まれて、明治維新まで引き継がれていった。
坂東武士の成り立ちは、平安時代の律令制度(土地と人民は支配者に服属する制度)を逃れるために、開拓農民となり自立していき、武士の時代即ち百姓の政権である鎌倉時代になっていった。ここでは土地の所有が認められ、それが拡大すると家臣と領民ができてきた。「名こそ惜しけれ」の精神を各人が持ち、集団化されたものが「公意識」であり、それを義務として捉えられていく。

 そして武士集団が群雄割拠する戦国時代になり、北条早雲が早雲寺殿21箇条を定めたことで、日本人の倫理観が形作られていった。これ以降には、武士の世界では家訓や法令が一般的になっていった。
織田信長から豊臣秀吉、そして徳川家康が天下平定を成し遂げ、江戸幕府の体制となっていった。司馬はこの時代の典型的な人物として、江戸中期の秋田藩士、下級武士/栗田定之丞を見出している。海岸に防風林をつくり農地田畑を守った人物である。何の見返りもないのに、周りに呼びかけながら黙々と一人で活動していく中で、周りの住民の共感者が徐々に拡大していき、14年間で延べ7万人が活動し防風林が完成したとのこと。
そして「貧しさの中に誇りを見出し、公に奉ずる」生き方の素晴らしさ、個を主張しない滅私奉公に美を見出すようになっていった。
幕末志士の時代になると「人はどう行動すると美しいか」「人はどう行動すると公益のためになるか」この2つの精神が原点に置かれて活動し、その意識が強く働き明治維新が実現していった。

 この姿がおかしくなったのは、日清・日露戦争を通して「統帥権(大日本国憲法第11条:天皇は陸海軍を統帥す)」を軍部が拡大解釈するようになり、第1次・2次世界大戦に繋がっていってしまった。
統帥権論(軍部暴走)は朱子学論(日本思想史)と併せて『この国のかたち』の最初から問題提起されていることのようである。
最後に司馬からの「日本人への遺言」として、「今からは、日本人一人一人がしっかりとした個を創り上げていく必要がある。確かな個ができていかないと、同じ過ちを繰り返すことになる。」と述べている。 

 今、不安定な世界情勢の中での「日本の政治のあり方」について、様々な議論が飛び交っている中で、NHKが司馬遼太郎の「この国のかたち」を採り上げた意味を考えた。
ある人の言葉であるが、
日本人としての夢や希望を描ける教育を子供たちに与えたい。しかし日本国民としてのアイデンティティーが今の教育にはない。「日本国民としていかにあるべきか」という確固たる理念が希薄で、本来あるべき「その上に立っての権利と義務」が併存し、日本人としてのプライドを持たせたい。
人を育てることが目標のはずの教育の場で、その過程にすぎない大学入学があたかもゴール。夢を育む少年時代が、偏差値に追い立てられ塾通いの日々。貧しかった時代の方が心の豊かさは高かったのではないか。

日本の歴史をたどることは、我々日本人のルーツを見出すことであり、私自身が今までと異なる視点から興味を持つことができた。そういう意味でも、この番組に感謝したい。
今こそ真の公意識をもっと強く持ち直して、さらに豊かな倫理(新たな倫理)に仕上げ、世界に対する日本人の姿勢を新しいあり方の基本にすべきではないか。日本人は「今からの世界のあり方」を変える可能性を秘めた、唯一の民族ではないかと改めて思った次第である。