■この国のかたち@

  先日のNHKスペシャルで、司馬遼太郎「この国のかたち」が2日連続で採り上げられ、今まで思ってもいなかった視点からの司馬遼太郎のものの見方に触れることができ非常に感銘を受けた。

司馬遼太郎が書いた歴史エッセイ「この国のかたち」は、1986年から急逝した1996年までに文藝春秋に連載されたもので、単行本化して第6巻まで発行されている未完の大作である。
私は読んでいないので、内容については全く知らないが、ウェブで調べてみた感じでは「統帥権論(明治時代以降に軍部により変質)」と「日本思想史(神道論、古代仏教論、真宗論、朱子学論、江戸思想論、武士論など)」について司馬遼太郎の考えが記載されているようである。
第六巻の海軍論へと展開して、物語の佳境に入っていたところで司馬遼太郎が倒れ、絶筆となり未完となったとのこと。この後「司馬が書いておきたかったことは、倒錯して発狂した昭和国家の姿であり、それがどのように歴史的に招来されたのかを、朱子学の問題から解明することだった」とも書いてあった。私には意味がよく分からないが・・・)

 NHKスペシャル「この国のかたち」の内容は、以下のとおりである。
日本人を特徴付けるものとして、2つの“柱”が浮かび上がり、それは「外国からの異文化の取り込み」と「日本人の内面を作る精神」だったとのこと。そして1日目に前者を、2日目に後者を取り上げた放映であった。

先ず1日目の「外国からの異文化の取り込み」という柱について纏めてみた。
辺境の島国という立地は、日本文化の形成にどう寄与したのか。司馬は辺境ゆえに海の向こうの普遍的な文化に憧れ、強い好奇心を育み、独自の発展を遂げたと繰り返し述べている。
原点にあるのがアニミズム(自然崇拝)で、その延長線上に他文化を受け入れる素地としての神道「八百万の神」があるように感じた。要は他文化を受け入れる素地があったということだと思う。
大陸の玄関口である壱岐の異国崇拝の風習、8、9世紀の奈良東大寺に伝わる「神仏習合」の儀式も然り。「神仏習合」という独創的発想は、一神教の世界ではあり得ないことである。室町時代の枯山水、書院造りなどに加え、華道、茶道、能、狂言などを取り入れ日本ナイズしていった。

 鎖国下の江戸時代でも、「暗箱に針で突いた小さな穴」と例えられた長崎・出島から外国文化を貪欲に吸収したことが、明治以後の近代化の支えになったという。幕末に薩摩藩の島津斉彬が集成館(工業団地)をつくり、製鉄の反射炉を1冊の本の絵から実現して、自力で大砲をつくったことも、驚くべき事実である。

 
長崎・出島と反射炉

  明治時代になり、「無思想の思想」「海の向こうの文化への憧れや強い好奇心」が、明治の近代化(製鉄、製糸、造船、鉄道、教育、郵便制度など)を短期間に実現していったことも、道なき道を進むこと(新しいことへの挑戦)は日本ならではのことである。
初めて聞いた名前であったが、古市公威という人物が、海外(欧州)留学し、海外技術をそのままでなく、日本ナイズして国内に広めていったことが、日本の近代化を語る上で、特筆すべきこととしてあったそうである。
最後に司馬は、日本の未来について危惧されることとして、「日本人が無感動体質になることが怖い」と言っていたとのこと。

2日目の「日本人の内面を作る精神」については、次回に紹介したい。