■立場変われば

  「所変われば品変わる。」これは違う土地へ行けば、そこそこで風俗・習慣・言葉なども違ってくるという諺とのこと。
最近、「立場変われば・・・」という言葉を強く意識するようになったが、フッと昔のことを思い出した。
私が新卒後に勤めた会社の先輩で、開発部門から海外営業部門に変わった優秀なエンジニアがいた。その人が日本に帰ってきた時に、開発部門の時に言っていた言葉と、全く逆のことを言ったので、「あれっ、ついこの間まで言っていたことと違うじゃないですか。」というと、笑いながら「立場変われば言うことが変わるもんよ。」との返事。まだ若かったこともあり、なんとも複雑な気持ちになったことを覚えている。




  古くからの問題として宗教・民族間戦争、具体的にはパレスチナ問題など、最近の話ではロシアのウクライナ統合、沖縄の辺野古移設の問題など、それぞれの立場で、自分の正当性を主張し相手側を批判している。
熊本に住んでいる日本人として、私なりに「コッチの言っていることがマトモで、アッチはおかしい」と思っているわけだが、もし私がイスラエルに住んでいるユダヤ人として考える場合と、パレスチナに住んでいるパレスチナ人として考える場合とで、同じ答えになることはないであろう。あたかも第3者として理性的に正誤の判断をしているつもりでも、やはり立場や価値観の違いで異なる判断をすることになる。
沖縄の辺野古移設、東北・福島の地震津波と原発被害者、原爆が投下された広島・長崎のことについても、住人の気持をどこまで理解できるかについては、当事者の身になって寄り添い、考えることで近づくことはできても、やはりその限界はあると思う。

  このようなことを考えていると人間関係論・集団関係論に行き着いてしまうが、身近な話として、仕事上で私と親しい経営者、診断士仲間、行政、大学、支援機関などなどとの関係においても、さらには家庭内においても、「立場が変われば・・・」ということも、意識的に考えておく必要があるのかもしれない。
私自身も結構、自己中心的に考えて行動しているのかもしれない。「ここまで相手のことも考えて話しているのに、どうして分かってくれないのだろうか」とストレスを感じることもあるが、勝手に一人相撲をとっているのかもしれない。
理屈では、「人は立場によって、意見も考え方も変わるもの。相手の立場を理解すれば否定的な意見も気にならず、ストレスもなくなる。」との模範解答がある。とは言っても感情の動物でもある人間には、結構、実践するのは難しいことではないかと考える今日このごろである。

  家内には、「家に帰ってからも仕事をして、仕事は趣味よね。貴方はいいわね、自分の好き勝手なことばかりして!」と怒られることもある。とどのつまりは、やはり「我が道を行く(GOING MY WAY)」が、自分に合った生き方のようである。
家内にも感謝!