■民藝運動

  あるところで着物リメイクの話をしていた時に、「民藝」の話が出て、「民藝は、柳宗悦がつくった新語である」という話を聞き、興味を持って少し調べてみた。
そもそも「民藝」という言葉は、「民衆的工芸」の略語で、思想家・柳宗悦と美の認識を同じくする陶芸家の浜田庄司、河井寛次郎らによってつくられた言葉とのこと。つまり民藝品とは「一般の民衆が日々の生活に必要とする品」という意味で、言葉を変えれば「民衆の、民衆による、民衆のための工芸」といえるかもしれない。 
「民藝品」とは具体的にどのようなものかについて、柳宗悦は次のように説明している。

柳宗悦
(1889-1961)

*実用性 :鑑賞するためにつくられたものではなく、なんらかの実用性を供えたものである。
*無銘性 :特別な作家ではなく、無名の職人によってつくられたものである。
*複数性 :民衆の要求に応えるために、数多くつくられたものである。
*廉価性 :誰もが買い求められる程に値段が安いものである。
*労働性 :くり返しの激しい労働によって得られる熟練した技術をともなうものである。
*地方性 :それぞれの地域の暮らしに根ざした独自の色や形など、地方色が豊かである。
*分業性 :数を多くつくるため、複数の人間による共同作業が必要である。
*伝統性 :伝統という先人たちの技や知識の積み重ねによって守られている。
*他力性 :個人の力というより、風土や自然の恵み、そして伝統の力など、目に見えない大きな力によって
        支えられているものである。



日本民藝美術館
設立趣意書
(1926) 

日本民藝館
 また、そこに宿る民藝美の内容を、「無心の美」、「自然の美」、「健康の美」であると説明している。
つまり、こういった条件の積み重なりの結果、日本に固有の工芸文化が生まれ、各地に地方色豊かな民藝品の数々が生まれていったと考えられる。
柳宗悦が、日本を「手仕事の国である」と呼んだ由縁である。
柳宗悦の厳しい審美眼によって取捨された日本民藝館のコレクションは、日本および海外諸国の陶磁器、織物、染物、木漆工、絵画、金工、石工、竹工、紙工、革工、硝子、彫刻、編組品など各分野にわたり、約1万7千点を数える。

 1936年、日本民藝館が開設されると柳宗悦は初代館長に就任。以後1961年に72年の生涯を閉じるまで、ここを拠点に、数々の展覧会や各地への工芸調査や蒐集の旅、旺盛な執筆活動などを展開していった。
公益財団法人 日本民藝館 〒153-0041 東京都目黒区駒場4-3-33
http://www.mingeikan.or.jp/

 東京にある日本民芸館を中心に、全国28ヶ所の民芸館があり、九州には熊本国際民藝館1箇所のみであり、ぜひ一度、訪問見学することをお薦めしたい。
公益財団法人 熊本国際民藝館 熊本県熊本市北区龍田1丁目5−2
http://www1.ocn.ne.jp/~kumingei/

熊本国際民芸館