■経済学者 宇沢弘文氏 |
昨年9月に亡くなった宇沢弘文氏のことを、昨年末のNHK-TV番組で見て、久しぶりに 心から共感する人に出会った。4年前に大病入院していた時に「免疫学の世界的権威・ 多田富雄氏」の時以来である。(下記URLにコラム掲載) http://homepage3.nifty.com/chieikasu/column/column143.html 番組タイトルは「人間のための経済学 知の巨人・宇沢弘文」というもの。 http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail02_3574_all.html この番組は内容が深く、いくら書いても伝えきれないものがあるが、最も大切なキーワード として「社会的共通資本」という言葉がある。 宇沢氏は、「経済学の原点は人間、人間でいちばん大事なのは、実は心なんだね。 その心を大事にする。一人一人の人間の生きざまを全うするのが、実は経済学の 原点でもあるわけね。」と述べている。 |
宇沢弘文 氏 |
宇沢氏は東大で数学を学んでいた時、経済学者・河上肇が書いた「貧乏物語」を読んだことがキッカケで、「すべての人が幸せに生きる社会を作りたい。」と考え、経済学の道へ進むことにした。(「貧乏物語」の内容は、世界の経済大国・イギリスで、貧困が深刻になっていく問題を明らかにしたものである。) 研究のため向かったのは世界経済の中心アメリカ。ここで経済成長の条件を数学的に分析した理論を構築し、実績を積み重ねて、36歳でシカゴ大学の教授に就任した。暫くして宇沢氏は、大学で1人の同僚と激しく対立するようになった。 ミルトン・フリードマンという市場競争を極めて重視する新自由主義の中心人物である。彼は、「社会のすべてを極力、市場に委ね、競争させたほうが経済は効率的に成長する」と強硬に主張。 これに対し宇沢氏は、「効率を優先し過ぎた市場競争は格差を拡大、社会 を不安定にする」と真っ向から反論した。 アメリカ社会が「効率や競争」ばかりを重視するようになったと感じた宇沢氏は、アメリカ社会の未来に幻滅し、1968年に日本に帰ることを決意。しかし日本で目にしたのも、経済成長が必ずしも幸せな暮らしにつながっていない現実だった。 |
東大教授となった宇沢氏は帰国から6年後、急速に進む自動車社会に警鐘を 鳴らした。そして事故の増加や大気汚染など、社会に莫大な負担を強いる という、新たな見方を提示した。 人間らしく生きる社会とは何か。 宇沢氏はみずから、ある実践をしていた。リュックサックの中にいつも入れて いたのはランニングシャツで、大学と自宅の間を走って往復。自動車に頼らない 生活を心がけていた。 |
経済成長と幸せな暮らしを両立させるにはどうしたらよいのか。 宇沢氏が提唱したのが、「社会的共通資本」という考え方である。 「社会的共通資本とは医療や教育、自然など人が人間らしく生きるために欠かせないもの。これらは市場競争に任せず、人々が共同で守る財産にし、その基盤を確保した上で、企業などによる市場競争があるべき」だと考えたのである。 彼は「市場で取り引きされるものは、人間の営みのほんの一部でしかない。医療制度とか、学校制度とか、そういうのがあることによって社会が円滑に機能して、そして一人一人の人々の生活が豊かになる。人間らしく生きていくということが可能になる制度を考えていくのが、我々経済学者の役割。」と言っている。 |
「社会的共通資本」とは、「利益追求の対象にしてはならない、誰のものでもない、みんなのもの」である。 彼は、思考の世界で論じる経済学者ではなく、行動する経済学者で、経済成長が引き起こす問題の解決策を、現場に飛び込み提案してきた人である。すべての人々が幸せに生きられる社会を考え続け、その思想は世界から高く評価されており、今からの「新たな社会のあり方」に提言し、次世代への指針として残してから、あの世に逝ったのではないかと思う。 今回、宇沢氏の生き方を初めて知り、経済学者というよりも哲学者&社会学者だと実感した。時代の変化に対応した「新たな地域コミュニティーづくり」「人間らしい社会づくり」のあり方について、素晴らしい方向付けをしてくれた宇沢氏には、心から共感するとともに、この出会いに感謝している。 |