■宮崎県綾町に学ぶ

  私は毎朝、自宅の屋上で気功をやっており、その時にはラジオを聞いている。
 9月17日のNHK第一放送「ビジネス展望」で、京都大学大学院経済学研究科・諸富
 教授が話をされたが、それは宮崎県綾町の話だった。綾町というと、「工芸品で町お
 こし」のような話を聞いたことがあったが、諸富教授の話を聞いて、郷田實前町長の
 深い思考に基づいた長期的視点に立った「自然を活かした町おこし」の素晴らしさを
 知り、感動すら覚えた次第である。
 なお郷田實前町長の在任期間は6期26年(1964年〜1990年)とのこと。

  昔は、西日本の山々はすべて照葉樹林だった。
 昭和30年、1955年頃から、国策としてこの照葉樹林が伐られ始める。
 照葉樹林は雑木だから、価値がないという考え方で、その代わりに杉や檜が植え
 られた。この時期から、だんだん経済効率主義的な考え方が日本を支配していく。
 そして多分、花粉症の始まりもこのあたりにあるのかもしれない。
 郷田前町長は、昭和41年に、40歳の若さで宮崎県綾町の町長に就任する。そして
 町長に就任したその年に、林野庁から、綾町の照葉樹林を伐りたいという申し入れを
 受けたが、これに対して郷田さんは命がけの反対をし、長期的持続社会を目指し
 「あの山を残そう。子供たちのために」「照葉樹林都市づくり」をスローガンにした
 街づくりを推進してきた。
 命がけの反対というのは、綾町の照葉樹林といっても国有林だから地主は国であり、
 まだ「環境」とか「エコロジー」という言葉がなかった時代で、国に反対することは
 非常に難しい時代背景だったからである。




前綾町長 故 郷田實氏
  
  今では、杉や檜に取って代わられて、まとまった照葉樹林はほとんど唯一、宮崎県綾町にしか見られ
 ない。昔はどこにでもあった照葉樹林の森を、年間200万人もの人が見に来るというのだから、文明の
 皮肉でもある。
 そして照葉樹林の恩恵を活かし、草木染めによる染織工芸・地産材による木竹工芸・地元の土を使った
 陶芸・自然をモチーフにしたガラス工芸など、様々な手工芸作りも盛に行われている。また、碁盤・将棋盤
 などに欠かせない良質のカヤが産出されるため、とりわけ名人戦などの棋戦に用いられる最高級品には
 この地で創られたものが珍重される。
 このような活動を通して、工芸家が綾町に移住してくることで、どこもが過疎化に苦しむ中で、綾町は
 人口を維持しているとのこと。  
  綾町 観光ガイド(工芸品)http://www.town.aya.miyazaki.jp/ayatown/tour_guide/c_goods/index.html

  また農業においても、農薬や化学肥料による土壌の劣化を防ぐために、「有機
 農業(綾町では自然生態系農業とも呼ばれる)」を推進してきたようである。
 当初は、収量も下がり農家も苦しんだ時期もあったが、今では綾町ブランドが
 浸透し、農産物販売所では他地域から大勢の消費者が押し寄せるようになって
 いるだけでなく、自然の中での人間らしい生活を求める全国各地からの移住者が
 後を絶たないそうである。
 基幹は農業であり、町をあげて取り組んできた有機農業は町のブランドとなって
 おり、綾牛・綾豚・綾地鶏などの畜産品と共に、関東・関西地区の百貨店等で
 希少な高級農産物として店頭に並ぶこともある。
  そして綾町は、2012年7月12日に
 国内では32年ぶり、5ヶ所目となる
 ユネスコエコパークに登録された
 そうである。
 最後に、その他の主な受賞歴を
 記載しておく。 ⇒ ⇒ ⇒
 
 *過疎地域活性化優良事例町村(国土庁長官・1994年)
 *ふるさとづくり大賞(内閣総理大臣・1991年)
 *首長が選ぶ元気な自治体・西の横綱(共同通信社・1998年)
 *日本の名水百選(1985年):綾川湧水群
 *日本一星の見える町(1995年)
 *水源の森百選(1995年):綾の照葉樹林
 *水の郷百選(1996年):照葉樹林都市・綾