■ 南紀周遊ツアーに参加してA熊野三山 |
2日目は、白浜温泉近くの観光スポットを周ってから、熊野三山巡りに出発。 初めに訪れたのは「千畳敷」。第3紀層の太平洋に面したスロープ状の 砂岩が、波に浸食されてできあがった複雑な地形の海岸で、しばらく周辺を 散策する時間があった。 次に訪れたのは「三段壁」という高さ50mの大岸壁があり、自殺を思いとど まるように書かれた標識が設置されているとのこと。エレベータで降りると 熊野水軍の船の隠し場所だった洞窟にも行くことができる。 そして白浜温泉の名所である「円月島」をバスの車中から速度を落として眺め ながら写真撮影。正式名称は高嶋とのことだが、島の中央部に丸い海食洞が 空いており、夕景の名所としても知られる白浜のシンボルとのことだった。 熊野三山に向かう途中で、日本最大の梅干工場(中田食品)に立ち寄り、 工場見学や製品販売施設での買い物を。ここの説明の中で最も印象深かっ たのは、「当社がナンバーワンだが、演歌歌手の坂本冬美は、この近くに あるナンバー2の会社の事務員だった。」という話だった。 |
千畳敷 三段壁 円月島 |
熊野本宮大社 熊野速玉大社 |
そして一路、熊野本宮大社へ。 熊野本宮大社はかっては熊野坐神社と号し、熊野の神といえばこの神社と されていたようである。明治22年の大洪水の時までは熊野川の中州大斎原に あったそうで、その後、現在地に遷宮されて120年となるそうである。 ここで象徴的だったのは、八咫烏である。八咫烏とは、日本神話で神武東征の 際に、高皇産霊尊によって神武天皇の元に遣わされ、熊野国から大和国への 道案内をしたとされる烏である。一般的に三本足のカラスとして知られ古くより その姿絵が伝わっている。 次に新宮市の町中にある熊野速玉大社に向かった。熊野速玉大社は熊野新宮 とも呼ばれ、地名の由来ともなっている。力強く映え輝く魂の象徴とされる 速玉大神(イザナギノミコト)と産霊の神夫須美大神(イザナミノミコト)の 夫婦神で縁結びの神社としても有名。 境内にある熊野権現の象徴とされる樹齢千年の御神木ナギがあり、落ちている ナギの葉を懐に入れておくと、願いごとが叶うような話もあるようだ。 |
それから熊野三山の締めとして那智大社へ。 ここは那智の瀧(飛瀧神社)、熊野那智大社、那智山青岸渡寺(観音霊場)が歩いて 移動できるくらいの距離に隣接している。 先ずは那智の瀧の入り口でバスを降りて、歴史に彩られた石段を飛瀧神社まで下りて 参拝して那智の瀧をしばらく眺めていた。水の落ち口は3つに分かれており、理由は 忘れたが、那智の瀧は地殻変動が起きても移動しない場所との話もあった。 残念ながら滝壺のところは、1年半前の大雨で崩壊しており、滝壺まで行って飛沫を 浴びることができなかった。1年半たった今もあまり復旧が進んでおらず、自然災害の 凄さを垣間見た次第である。 (那智の滝→) |
次に那智山バス停から坂道である表参道を 歩いて、熊野那智大社、そして那智山青岸渡寺で 参拝した。青岸渡寺の先にある展望台からは 丁度、3重の塔と那智の瀧のセッティングが 素晴らしい景観となっており、格好の撮影スポット のようである。 |
熊野那智大社 |
那智青岸渡寺 |
八咫烏の置物 山口光峯さんの店の前で |
坂道の表参道には、多くの土産物店が立ち並んでおり、行きがけに 見つけた1つの店舗のみが那智黒石の加工をやっており、帰りにこの店で 那智黒石でできた土産物を買うことに決めた。帰り道に当店に立ち寄り 亀と八咫烏の置物を店主に選んでもらうようにお願いしたところ、この店主が 数少ない那智黒石の硯職人二代目山口光峯氏と分かった。2003年に 那智黒石の硯で日本文化デザイン大賞を受賞したり、天皇皇后両陛下の 前で職人技を見ていただき、自慢の硯を献上したりしたそうである。 その時の写真も額に入れて飾ってあった。偽那智黒石のものも出回って いるそうで、店主に見栄えを含めて選んでもらい、八咫烏の置物2点と 亀の置物1点を購入した。帰り際に記念写真を撮っていたら、2代目から 夫婦の2ショット写真も撮っていただき、思いもよらぬ印象深い記念写真 となった。 |
全国に熊野神社は2600社あるそうだが、その本山ともいうべき熊野三山巡りができたことに、感謝して いる。また熊野三山巡りをした記念として、三社の烏文字の神符(牛王宝印)を買うことができたことも、 いい記念品にもなった。熊野の牛王宝印は、三山それぞれ、デザインが若干異なり、1枚の紙に5つの 文字がカラス文字と宝珠で図案化されて記されているもの。 *熊野本宮大社 :スサノウノミコト :熊野山宝印(烏88羽) 本宮は未来を約束する阿弥陀如来 @ *熊野速玉大社 :イザナギノミコト :熊野山宝印(烏48羽) 速玉は現在を救う薬師如来 A *熊野那智大社 :イザナミノミコト :那智瀧宝印(烏72羽) 那智は過去を救済する観音菩薩 B |
熊野那智大社の表参道にある那智観光センターから大門坂の碑がある ところまで、案内人に熊野古道に関する話を聞かせてもらいながら、数多くの 先人が辿った旅と同様に、古い木立と石段に囲まれての散策経験をさせて もらった。約600mの区間を約30分かけてゆっくりと散策したが、何ともいえ ない清々しい気分であった。 そして勝浦桟橋までバスで行き、そこから船に乗って那智勝浦温泉「ホテル うらしま」まで移動したが、この日は約1万5千歩も歩いたこともあり、ホテルの 部屋に着いてようやく一段落した感じであった。ホテル浦島は「本館・なぎさ 館、日昇館、山上館の4館があり、805室2000人収容可」のビックリする ほど大きなホテルで、温泉も「忘帰洞、玄武洞、磯の湯、滝の湯、ハマユウの 湯、天海の湯、遙峰の湯」の7つもあり、温泉巡りスタンプラリーまである。 当ホテルの売りは、洞窟温泉2か所(忘帰洞、玄武洞)であり、当日は近くに ある玄武洞に入浴し、翌朝に古くからある忘帰洞に入浴した。 何よりも洞窟風呂は、眼前には海が広がり素晴らしい景色で、特に印象深く 残っている。 |
大門坂 ホテルうらしま |