■日本が世界平和に貢献するL 「独走する日本」日下公人著より
 ― 欧米の自我、日本の自我 ―

  順番に説明していけば、まず、日本には自我がない。ではヨーロッパにあるのは
 なぜか? である。ヨーロッパにだって、ほんとうはどこまであるかわからない。
 けれども、ともかくあるフリをしなければいけない。これはデカルト以来「我思う、ゆえに
 我あり」で、「思っていない」などと言っては犬畜生並みにされる。だから「私は考えが
 あります。それを言ってみろと言われたら、言います」という態度を貫かなければいけない。
 それゆえ言論の自由や投票の権利が生まれた。個人主義や民主主義の根本には
 自我がなくては始まらない。
 
  しかし日本には自我がない。正確に言えば、自我はないことはないが、出さない
 のである。なぜ出さないかというと、日本には絶対的・超越的な唯一神がいない
 ので、人間のほうが神様より偉いことになっている。もしもそこで各自が自我を
 主張したら、社会はまとまらない。そこで自分の意見や主張は、相手と私との
 中間に置く。中間に置いて話をする。だからYouとかMeはハッキリさせない。まずは
 Weで話す。ただし、どっち寄りのWeなのかは「これから話し合いで」という、怪し
 げなWeで話をしている。

  これを大阪大学教授だった浜口恵俊さんは「間人主義」と名づけた。問題の答は
 人間と人間の間に置いてつきあう。自分自身は融通無碍である。間人主義の日本
 というのは、なるほどそうだと思わされる。そして共同体というのは、時間を経ると
 だんだんそういうふうになるものだと思う。

  じつはアメリカにも自我があまりない。あると言えばあるが、ないと言えばない。
 なぜかというと、多くの人は母国語をしゃべっていない。借り物の英語をしゃべっている。
 だから、そこにはほんとうの自分がこもっていない。という面白い指摘をしているのが
 『日本語はなぜ美しいのか』(集英社新書)を書いた黒川伊保子さんだが、アメリカには
 英語が母国語でない人がたくさんいる。イギリスから来た人はまあまあ母国語だろうが、
 あとはだいたい寄せ集めで、お互いがコミュニケーションをするために、しようがないから
 英語を使っている。だから言葉は単なる「記号」である。そういう理由だから、心がこもっ
 ていないのがアメリカ英語である、と書いていたので面白かった。
 
  なるほど、それでアメリカ人はほんとうの自分を探そうと思って、アイデンティティ、アイ
 デンティティとうるさいのである。
 

  日本人はわざわざアイデンティティなどと言わなくても、自分がどういう人かは周りがみんな知っている。
 田舎へ帰れば、もう何から何まで知られている。会社でも同じである。だから「自分はこうだ」などと別に
 悩まない。自己紹介なんかいらない。へたに自己PRなどすれば自慢になって嫌われる。だから実績
 よりも謙遜の言葉が中心となる。それで問題ないのは、すでにみんなが知っているからである。

  ところがアメリカは周り中が知らないから、しょっちゅう自己紹介をしなければいけない。そのため「何と
 言えばいいか」と悩んでいる。そもそもアメリカという国は、自己紹介をするとき、昔というか歴史を言うと
 ぐあいが悪い。ヨーロッパから逃げてきたとか、アフリカから強制連行されてきたとか、南米や中国から
 出稼ぎにきて居着いたとかで、その土地はインディアンから略奪したことには触れたくない。だから「未来へ
 向かって進歩している」とか、「自由のために戦っている」と言わなければいけない。いつも敵が必要であ
 る。それはブッシュ大統領を見ているとよくわかる。今度はイランを攻めるのではともっぱらの評判である。

  いつまでも敵が必要だというのは、日本人から見ると、まだ子供だということである。
 敵によって自分を確認する。そんなことを日本はもうやめた。江戸時代二百五十年
 の間に、日本はもう卒業してしまった。仲良く暮らそう。YouとMeなんて区別を立て
 るのがだいたい間違いである。YouもMeも一緒である、敵も味方も一緒である。
 ──というのが日本精神である。
*          *          *

  さて、日本精神というのを、さまざまな対比から説明してきたが、実はこれにどういう
 名前をつけていいかわからない。しようがないから「日本精神」と言っている。ともあれ
 私は、世界の例えばキリスト教、ユダヤ教、イスラム教などに比較すると、こちらは
 良いところが全部入っていると思っている。何しろ日本刀同様、四枚重ね、八枚重ね
 になっている。そして悪いものは入っていない。捨ててある。

  それは日本人が選んだのである。だから、日本人は何を選び何を捨てたかという
 研究をすればいい。外国にはあるが日本にはないものを書き挙げると、それは捨て
 たものである。

  「日本は遅れた国だから、あるべきものがない」というのは見当違いもいいところである。
 そのルーツは欧米かぶれをした知識人だが、誰も言わない更なるルーツを言えば、明治政府が
 江戸時代以前を否定して、自分の文明開化ぶりを褒めただけではないかと思う。

  日本はむしろ先進国であり、私に言わせれば独走している。
 目の前の事実を素直に見れば誰でもわかる話だが、なぜそういう説が広まらないのか不思議である。
 これをもって、テーマ「日本が世界平和に貢献する」を締めとする。