■日本が世界平和に貢献するB
    〜戦国・江戸時代以降に来日した外人の日本人観2/2〜

  前回は、来日外国人の日本人観について、@宣教師フランシスコ・ザビエル(スペイン)、
 そしてA初代米国総領事タウンゼント・ハリス(米国)を採り上げたが、今回はこれに続けて
 述べていく。
  

 B 明治時代のラフカディオ・ハーン(アイルランド)は、日本名・小泉八雲。『怪談』等の
名作で有名である。彼は日本文化を世界に知らしめた外国人として、しばしば第一に
挙げられる。
彼が世界に伝えようとしたもの、それは日本の「魂」であった。
当時、彼はアメリカの友人に宛てた手紙に、こう書いている。
「私は強く日本にひかれている。(略)この国で最も好きなのは、その国民、その素朴な
人々である。天国みたいだ。世界中を見ても、これ以上に魅力的で、素朴で、純粋な民族
を見つけることはできないであろう。日本について書かれた本の中に、こういう魅力を
描いたものは1冊もない。私は、日本人の神々、習慣、着物、鳥が鳴くような歌い方、彼ら
の住まい、迷信、弱さのすべてを愛している。(略)私は自分の利益を考えず、できるなら、
世界で最も愛すべきこの国民のためにここにいたい。ここに根を降ろしたいと思っている。」
「彼等は手と顔を洗い、口をすすぐ。これは神式のお祈りをする前に人々が決まってする
清めの手続きである。それから彼等は日の昇る方向に顔をむけて柏手を四たび打ち、
続いて祈る。……人々はみな、お日様、光の女君であられる天照大神にご挨拶申し上げ
ているのである。『こんにちさま。日の神様、今日も御機嫌麗しくあられませ。世の中を美
しくなさいますお光り千万有難う存じまする。』たとえ口には出さずとも数えきれない人々の
心がそんな祈りの言葉をささげているのを私は疑わない。」
今でも「日本人にはそんなところがある。」と思える根底にあるのは、農耕民族である
日本人のDNAに埋め込まれたアニミズムを背景に持った自然との共生意識ではないか
と思っている。
   C 大正時代に初来日し、すぐに日本の素晴らしさを直感したアルバート・アインシュタイン
 (米国)は、20世紀最高の天才科学者である。彼は、自分の理論が証明された原子爆弾
 に対しては、核廃絶を訴えて行動した。彼はまた、神への敬虔な感情を持っていたことでも
 知られている。
 アインシュタインは、人類が初めて世界戦争を体験した第1次世界大戦の後、大正11年11
 月18日に来日した。彼は、伊勢神宮に参拝し、そこで、次のように語っている。
 「近代日本の発展ほど、世界を驚かせたものはない。一系の天皇を戴いていることが
 今日の日本をあらしめたのである。私はこのような尊い国が世界の一箇所くらいなくては
 ならないと考えていた。
 世界の未来は進むだけ進み、その間、いく度か争いは繰り返され、最後の戦いに疲れる
 時が来る。その時、人類は真実の平和を求めて、世界の盟主をあげねばならぬ。この世界
 の盟主なるものは、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を抜き超えた、最も古くまた
 尊い家系でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まってアジアに還る。それはアジアの
 高峰、日本に立ち戻らねばならない。我々は神に感謝する。我々に日本という尊い国を
 造っておいてくれた事を。」
 私は、アインシュタインがこのようなことを直感で感じ取っていることに、凄さを感じるととも
 に、やはり神道が日本のアニミズムが多神教をベースにおき、多様性を許容する文化を
 構築してきたことが、天皇制を2千数百年の長きにわたり継続してきたものの原点にある
 ようにも感じている。古事記を勉強する必要性も、改めて感じた次第である。



 D7年前に亡くなった社会学者P.F.ドラッカー(米国)も、日本に人間社会の理想的な姿を
イメージしていたように感じる。それを証する言葉を、「ドラッカー名言録37」より以下に示す。
「すべての文明、あるいは国の中で、日本だけは、目よりも、心で接することによって理解
できる国である」。そしてドラッカーは先ず、第一に日本人の「純粋な喜びを素直に受け入れ
る知覚能力」を、その「心」の一つとして感じている。
 第二に、自発性、自立性、個性の発揮と、社会と自分を合わせることへの圧力とをいかに
調和させるかというところに「心」のあり方を見いだす。
 江戸時代末期に酒井抱一が若いころ、画家の谷文晁に弟子入りしたにもかかわらず、
もっといい尾形光琳の絵を学ぶようにと助言したエピソードを挙げてこう言っている。
 西洋の偉大な教師ならば、このような才能に恵まれた若者に対しては、「自分に合ったスタ
イルを見いだせ」と言うはずだが、日本では、「まず自分に合った流派を探せ」と言う。これが
自我と社会の調整の一例だとしているのである。
 第三に、日本人の美意識の心の中には、日本と外の世界との関係を感じ取り、理解する
方策として興味深いものがあるとする。
それは、感受性そのものと、それが受け入れたものを改良したり、自分が思うままに使える
ものと、それを乗り越えてベターなものを生み出そうとする心の両方の動きだとする。それは
また「日本をより日本的にするものを、日本的人間関係に適したものを、日本のユニークさの
内的体験に沿ったものを残そうとする」あり方でもあるという。
 そして「こうした日本の伝統の中に根づく知覚や心は、日本の近代社会や経済活動の発達
の根底に大きく横たわっている」ことを見抜くのである。
  時代を超えて来日した歴史に残るような外国人が、日本人や日本文化に接して、「こんな国や
 文化が東洋の片隅にあったのか」と驚きと感動を表現していることは事実である。自国や他の
 外国の人々や文化と対比して、日本は異なる価値観や文化を有する民族であることは、歴史的に
 見ても間違いない。