菊池一族と文教の郷・菊池B

 全回までに明治維新までの文教の郷・菊池の歴史に触れてきたが、最後に近代史の中での
菊池・文教の郷について触れておきたい。

 近代国家になって半世紀ほどの歴史を踏んで、1915年(大正4年)には、菊池郡内の教職員が金を出し
合って、社団法人「菊池教育団」を設立し、地域住民や子供たちの教育に力を入れてきたようである。
今回の調査時には、菊池教育団の後継団体である菊池教育会の木原昭三会長を訪問し、面談をさせて
いただいたが、東京での教職を終えて故郷・菊池に戻り、第2の人生30数年間の長きにわたり、継続活動
されてきたその志に感銘を受けた。木原先生お一人の「思い」だけでできることではないが、この活動が
次の世代にも引き継がれるよう強く願っている。
 現在までの菊池教育団活動の歴史に簡単に触れておきたい。 
菊池郡内の学校に奉職する教員は俸給の百分の一を団費として納入。大正14年菊池教育団立菊池図書館落成。昭和13年菊池郡内の教育的会合の場として菊池教育会館が落成。
戦後、教職員組合が結成され、教職員は校長、教頭を問わず組合員として加入。
昭和50年代から入会者の減少とともにその運営は火の車 に。平成の時代を迎えた菊池教育団は経営陣の高齢化、健康問題、後継者の問題もあり、解散やむを得ずの状況となった。
菊池住民や子供の民間教育の場がなくなることを危惧した木原昭三先生が、残すことをしたい一念で、種々の検討を加えた結果、平成18年3月定款を大幅に改正し「社団法人菊池教育会」に名称を変更して現在に至っている。
ホームページに記載されている木原会長のご挨拶を、以下に記載しておく。
http://kikuchi.net-community.jp/
 ご挨拶
 菊池教育会は、平成18年6月、前身の菊池教育団(大正4年設立)を発展的に再出発したものです。
 顧みるに「教育は菊池」と宣伝されたほど、中世の歴史を包含した良き伝統を多くの諸先輩が築いてこられ
 ました。「この歴史ある文教菊池の灯を消してはならない!」との信念で取り組んでおります。
 「文教の郷きくち」を目指し、菊池郡市の教育の向上及び文化の進展に貢献する公益社団法人として
 みなさまのお役に立ちたい所存でございます。
 どうぞよろしくお願いいたします。
 社団法人 菊池教育会  会長  木 原 昭 三
 <菊池教育会の事業内容>
 1、教育・文化研究に関する研究助成事業
   菊池郡市の幼・保、小、中の園児児童生徒、及び教職員の文化、スポーツ、
   研究活動等に対し助成を行う。
 2、文教菊池の原点となっている中世菊池の歴史・文化に関する事業
   郷土の歴史・文化を学べる場として「菊池塾」を開講する。    
   「論語」「菊池の歴史」「菊池こども論語塾」
 3、教育(幼児から高齢者層まで幅広い対象)に関する講演会事業
   大学など関係機関と連携して講演会等を実施する。
 
 もう一つ、別の観点から歴史の流れの中で触れておきたいことがある。
それは菊池市泗水町にある孔子廟の設置までの歴史についてである。
熊本県菊池市に「泗水」という地名がある。
その由来は儒教の祖である孔子生誕の地、中国の山東省泗水県に因んでいるらしく、
明治22年(1889年)の町村制施行により新たに村名を制定する際、初代村長の西佐一郎が孔子をいたく敬慕していたことから、この地を「泗水」としたと言われている。
さすが文教の郷・菊池である。
ここ泗水孔子公園は、この地に「泗水」という名が付けられ100年の歴史を刻んだことを記念して建設・整備され1992年(平成4年)に完成したものとのこと。
公園の造りは中国宮廷建築様式が採用され、資材だけでなく技術者も中国から調達したという本格的なもので異国情緒漂うチャイナチックな雰囲気を醸し出している。主な建造物は、中国泗水県にあった6億年前の石で刻んだという高さ3mもある孔子像が納められた祀聖亭である。
孔子毎年9月には中国孔廟で挙行される孔子まつりに合せて、ここ泗水孔子公園でも祭りが催され、中国古来の文化を表現した華麗な祭りに県内外から大勢の人が訪れている



泗水孔子公園
 儒教が日本で最も盛んであった江戸時代から現代までにおいて、それが教えるものは日本人の倫理観に
大きな影響を与えていることを改めて強く感じた次第である。