■新たな気付きF :寛容と共生の時代へ
 入院中に最も衝撃的な出会いがあった。それは、たまたま見ていたテレビを通してであるが、故・多田富雄氏(元東京大学名誉教授)との出会いである。
 多田富雄氏は平成22年4月21日に亡くなったが、亡くなって間もない5月30日に、NHK番組「免疫学者・多田富雄の遺したもの」が放映された。この人の生き様に圧倒されるとともに、今からの人間社会が生き残るための智慧が「寛容の精神」であることに共感した。
この出会いは、入院している私に対して、神が「あなたが、退院後の生き様をつくっていくために、是非、この人の生き様を見ておきなさい。」と縁をつくってくれたのだと思っている。
 先ずは、多田氏の生き様に触れておきたい。
多田氏は免疫に関する世界的権威で、世界中を動き回っている状況下にあった2001年5月2日に、突如として旅先の金沢で「脳梗塞」に倒れ、右手の自由と言葉をほとんど失った。当初は絶望感に打ちひしがれてしまい、「いかに死ぬか」を常に考える時期を経て、新たな自己との遭遇により、生きる意欲を取り戻したようである。そして多田氏は必死のリハビリを行い、降って湧いたような障害に立ち向かっていった。不屈の努力によって、ゼロからパソコン操作を習得し、少し動かすことができる左手を使いパソコンを打ち、唯一の自己表現及びコミュニケーション手段を確保したことだけでも、凄いことである。それを実現したことで、一人の独立した人間としての自己表現が可能となり、人間の尊厳を取り戻すことができたのである。
 
 多田氏は脳梗塞を患ったことを次のように書いている。
『あの日をさかいに、すべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的もみんなその前と違ってしまった。でも私は生きている。以前とは別の世界に。』
凄い言葉である。この言葉には、新たな自分を生きていくという強い意思を感じるとともに、生きる目的をシッカリと持っていることが感じられる。
NHKのインタビュアーとのやり取りからも、そのことが分かる。
「何が多田さんの人生の原動力ですか?」との問に対して、『それは運命を受け容れる力です。』と述べている。また「書くことの意味は?」に対して、『それは創造すること。即ち生きること。』と。そして「多田さんの夢は何ですか?」に対して、『何かに役立って、人に感動を与え続けることです。』と、これらの言葉には、私自身が心の奥底から揺さぶられ、深い感動を味わった。
 
 多田氏の世界が変わってから4年経った頃(2005年5月)に、今度は前立腺癌の発症が分かった。今までの状況でさえ大変な試練を受けていることになるが、神は多田氏が過酷な試練に耐えられる人物だとみて、更なる試練を与え、その試練を乗り越える姿に、多くの人々が生きる勇気と励ましをもらった。
『「受苦」ということは魂を成長させるが、気を許すと人格まで破壊される。私はそれを本能的に免れるためにがんばっているのである。・・・これからも病気は次々に顔を出すだろう。一度は静かになった癌だけれど、いつかは再発するだろう。でもそのとき、どうせ一度は捨てた命ではないか。あの発作直後の地獄を経験したのだから、どんな苦しみが待っていようと、耐えられぬはずはない。病を友にする毎日も、そう悪くないものである。』(「寡黙なる巨人」より)
経験したものでないと、このような迫力ある文章は書くことができないように思う。
 次に、免疫学と社会学を融合した考えとしての「寛容の精神」について触れたい。インターネットで調べた中で、分かり易いところから抜粋して記載する。
 免疫は、私たちが心として自己認識している意識とは、別のところで、自分の中に異物として入ってくるウイルスや菌などに反応して、自己とそうでない非自己(異物)を、厳密に識別し、生命としての肉体を守っている機能のことである。したがって、免疫機能は、もうひとりの自己のようなものである。
 ところが、免疫の世界では、単に異物を攻撃するだけではなく、一定の条件下において、自己の中に入ってきた非自己に対し寛容の態度を示すことがある。
 免疫が寛容に振る舞う条件とは、第一に生まれた時に抗原が入ったもの、第二に抗原が微量か、逆に大量の時、第三に抗原が口から入った時の三つである。一般に抗原が人間の中に入って来た時、この抗原に対抗するために抗体が作られて反応すると考えられている。
 生命としての人間の歴史は、さまざまな病気を引きおこす抗原(異物)との闘いの歴史である。ある時には、中世のペスト(黒死病)や最近のエイズ(後天性免疫不全症候群)のように、人類を絶滅しかねないこともあった。その度に、人間が持つ免疫機能は、長い歳月をかけて、その異物と折り合いをつけるような寛容性を発揮し、異物と共存する道を選択してきたのである。
 
 多田氏著の「免疫の意味論」が、空前のベストセラーになった理由は、第一に、一般には理解しづらい「免疫」という機能が、先の「寛容」性を発揮するなどして、異物を受け入れるという不可思議な現象を、誰にも分かり易く解説していること、第二には、この免疫反応が、社会学的に応用できるのではと思わせる想像力をもって書かれていたこと、第三に、この分かりにくい免疫の世界を、「超システム」と名付けたことが挙げられる。
 結論として多田氏は、「免疫」というものが、決まった「マスタープラン」のようなものによって、機能しているのではなく、「言語の生成過程」や「都市の成立や発展」と同様に、その時その時の状況に応じて、かなり自由にもっと言えばファジー(曖昧)に働いて、全体のバランスをとっているという注目すべき発言をされた。これは、あらゆる学問分野においても、刺激的な理論であった。
 
 多田氏が最後に発した言葉をもう一度噛みしめてみたい。「長い闇のむこうに何か希望が見えます。そこには寛容の世界が広がっている。予言です。」多田氏の心の中に拡がった希望の光こそが、人類の知恵の結晶としての「寛容」という語句だったかもしれない。私は多田氏が伝えようとした多くの言葉の中から、免疫学の研究で体感した「寛容の精神」と、日本人として脈々と受け継いできた「和の精神」が融合した世界をつくりあげているように感じている。
それから多田氏が語った印象的な言葉として、「何かが終わるということは、必ず何かが新たに始まるということ。」があるが、そこにも希望の光を感じることができる。
 私自身としても、
『あの日をさかいに、すべてが変わってしまった。私の人生も、生きる目的もみんなその前と違ってしまった。でも私は生きている。以前とは別の世界に。』
の言葉を、今からの活動の原点として、考えていきたい。

 新たな気付きとしては、下記のテーマなど、まだまだ多くの事柄がある。
「テレビメディアの劣化」「日本政治・政治家の劣化」「倫理・道徳の軽視時代」「世界の中での日本の位置付けの激変」「真の人間性の尊重とは」「対立軸の多様化・複雑化」
しかし今回のコラム・シリーズとしては、今回を区切りとして、ラッキーセブンで止めておくこととする。残したテーマについては、都度、整理をした段階に採り上げるようにしたい。
感謝!!