■新たな気付きA :人体機能の素晴らしさに感謝
 「空気や水がきれいな時には、人はそのことを全く意識しないで、当たり前のことと思って生きているが、自分の周りに存在する空気や水が汚染された時に、初めて空気や水を意識することになり、普通に息ができること、水が飲めること(空気や水がきれいなこと)のありがたさを実感する。」との話を聞いたことがあるが、恵まれた環境、恵まれた健康の中にいると、なかなか本当に大切なことに気付かないものである。
 周りの環境ではなく、自分自身の病気を通して、上述のことと同様な気付きを得ることができた。治療前の症状が悪くなっていくプロセス、治療後の症状がよくなっていくプロセスの両方を体験することで、「本を読む、話をする、食事をする」など、無意識に支障なく行っている人体の「連動メカニズムの精緻さ」や、その当たり前にやれていることが支障なくできることに「ありがたさ、素晴らしさ」を感じることなど、いろいろなことに改めて気付いた。
            
 当たり前に「本が読める」「話ができる」「食事ができる」ことの裏側には、
人体の複雑な連動作用が精緻に機能している。
何よりも「眼球の左右連動の機能」「食事時の舌や嚥下力の機能」「話をする際の種々の弁開閉機能」など、人間の顔の内側に埋め込まれている機能の複雑精緻な成り立ちや凄さ、素晴らしさに、自分の体の変化(悪化プロセス→改善プロセス)を実感する中で、気付いたことを、以下に紹介しておきたい。

◎眼球の左右連動の機能 :
 目が正常に機能しているときは、左右の眼球が完全に連動しており、両眼の映像と脳の認識が一致してきちんと見えるが、連動が崩れると複視という症状が顕在化し、片目でしかものを見ることができなくなる。本を読むときには、左右の眼球が文字を追っかけるように連動して、疲れを少なくしており、眼球が固定化し上下左右運動ができなくなると、文字を追っかける機能が働かないために、すぐ目が疲れて、本を読むことも難しくなることが分かった。


◎食事時の舌や嚥下力の機能 :
 食事することは、「食物を噛む→喉に送り込む→飲み込む」のプロセスで成り立っている。食物を口の中に入れて、舌を使って練ったり移動させたりして歯で満遍なく噛んだり、喉の奥に押し込んだりできないと食事をすることができない。また、その後に気道の弁を閉じた上で喉の嚥下運動が機能して、初めて飲み込める。嚥下能力が落ちた場合は、スープや味噌汁などの水分を使うことで、強引に喉に流し込むことも可能である。その場合も、喉の左右の空間の大きさにより首の向きを変えることで、流し込みやすさも変わる。しかし原則的には、上述のプロセス機能の一部が機能しないと、きちんと食事をすることができないことが分かった。


◎話をする際の種々の弁開閉機能 :
 話をする際に、喉と舌と口の開け方で話ができるとばかり思っていたが、その際には口と鼻につながっている弁の開閉が関係することを知った。「鼻から抜ける」という言葉があるが、まさに鼻の弁が閉じることができないと、しゃべっている時に空気が鼻のほうに抜けて、何をしゃべっているのか分からない「ふにゃふにゃ言葉」になることを初めて実感した。また舌が思うように動かなくなるだけでも、しゃべることが全くできなくなることも、戸惑いと一緒に実感した。

 「本が読めない」「話ができない」「食事ができない」ことが、いかに不便であるか、いかに苦痛であるかを実体験すると、当たり前だと思っていたことのありがたさ、
素晴らしさ、嬉しさは感動ものである。そのようなことを考えている中で、一つ一つの「当たり前のこと」に対して、「本当は当たり前のことではないということ」を分かった上で、今の自分の状況に感謝の気持ちを持ち続けることの大切さに気付いた。