■熊本の昔話B

 熊本市新町1丁目から二の丸駐車場を結ぶ坂を法華坂といいます。
 この一帯は新風連の激戦地で、宮内橋のたもとには「軍旗染血之跡」が
 あり坂の途中には「太田黒伴雄終焉之地」の碑もあります。
 暗く寂しく又悲しい話もある坂なので以下のような怖い話があるのでしょう!
 *太田黒伴雄――敬神党170余名の志士を指揮した。政府転覆を狙い
 反乱をおこしたが失敗に 終わり自刃した。
「ノッペラポン」
 
 むかしむかし、熊本城の近くの法華坂は、そりゃあ寂しいところでな、
誰言うとなく、そこには重箱婆が出るという噂が流れておったそうな。
坂の上と下に茶店があってな、ある日の夕方、一人の旅人が坂の上の茶店に
入ったげな。
 「そうそうおかみさん、ここが法華坂たいね」旅人は団子を注文すると、店の奥にいるおかみさんに向かってこう聞いた。向こうを向いているおかみさんは、「はい、そぎゃんですたい」と答えた。「したら、ここに重箱婆が出るという噂は本当かいな」「はい、出ますばい」「ほう、いったいどぎゃんもんな」旅人は身をのり出して、向こうを向いておるおかみさんにたずねたそうな。するとな、おかみさんは突然、「重箱婆とは、こぎゃんとですたい」ちゅうて、くるっと旅人の方をふりむいたんだと、したらなんとしたこと、
 
 その顔というんが、目も鼻も口もない、ノッペラポンではないか。旅人は目ん玉が飛び
出るほど驚いた。夢中で坂をかけおり、下の茶店にとびこんだんだと。
中では娘が一人、せわしげに働いておった。旅人は真青になって娘にいうたと。
「ああおそろしか、ねえさん、わしゃ、重箱婆ちゅうもんば初めてみた」したら娘は、
「お客さんその重箱婆ちゅうんはこぎゃんとだったですど」というてこっちをふりむい
たんじゃ、みるとその娘もまたノッペラポン。旅人はもう、たましいもふっとんで、やっとの
ことでそこを逃げ出したちゅう話じゃ。