教科書に載せたい②(台湾の上下水道整備に尽力した日本人)

台湾統治時代(1895〜1945 )、最も重要なインフラ整備は上下水道の整備でした。日本領台前の台湾では、人間と家畜が一緒に暮らしているような状態で、上下水道などなく、民衆は雨水か河川の水に頼るしかなかった。その為、いざ洪水や台風、豪雨になると水があふれて汚水や汚物まで一緒に流れてくるような状態。そうなると伝染病が蔓延し死に至る。当時の平均寿命は30歳前後だったそうだ。
この現状を打破するため、招聘されたのが当時東京帝大の講師だった、イギリス人のウィリアム•バルトンとバルトンの弟子、浜野弥四郎である。バルトンは東京の上下水道設計の責任者として活躍した人である。
明治29年末から約3年間、バルトンと浜野は台湾各地の山野を調査し上下水道工事の設計と水源調査に奔走した。ところが、バルトンは台湾でマラリアに感染し東京に帰るも、43歳の若さで急逝してしまう。師の急逝後、大正8年(1919)まで23年をかけ、浜野弥四郎は台湾主要都市の上下水道をほとんど完成させた。大小合わせて133ヶ所も建設された。お陰で、台湾人口156万人の水道水を提供できるようになったのだそう。本当に素晴らしい、このような大工事を成し遂げた日本人を誇りに思います。これもまた、烏山頭ダムと同様、台湾の方々が親日である理由なのでしょう。この浜野弥四郎指導のもと上下水道工事に従事したのが、前回紹介しました八田與一です。
                   (台湾は日本人がつくった:徳間書店/黄文雄著より)

ウィリアム・バルトン

浜野弥四郎