■日本講演新聞より

日本講演新聞に掲載された哲学者·教育学者の苫野一徳先生の哲学が
読み解く「学校教育とは何か」を出来るだけ原文のまま数回に分けて
ご紹介したいと思います。

哲学とは、誰もが納得できる物事の「本質」を洞察する学問です。
どういうことかと言うと、例えば「そもそも教育とは何か、それはどうあれば『よい』と言えるのか」と言った物事の本質を徹底的に考え抜いて解き明かす。そして誰もが「なるほど、確かにそれは本質だよ」と唸ってしまうような優れた洞察にたどり着くーこれが哲学の命です。

物事の本質が分かれば、そこを出発点にして、「では、どのような教育を構想・実践していけばいいのだろうか」という思考ができるようになります。
逆に言うと、物事の本質が分からなければ、信念の対立だらけになってしまいます。私の専門である教育の現場ほど、信念の対立の場であるところは他にないと言ってもいいくらいです。

「子どもの自由活発な成長を後押ししたい」と思う人もいれば、「いやいや、まずは躾が大事なんだ」と考える人もいる。お互いの教育観が違えばただだた信念の対立になってしまうんですね。
でも、「そもそも教育は何のためにあるのか」という物事の本質が分かれば、「では、そのために私たちはどのように教育をつくっていけばいいのか」ということを、多様な意見を持ち寄り、協力しながらみんなで考えていくことができるようになります。もちろん「これが絶対正しい教育の本質」というものはありません。でも、その上でなお、できるだけ誰もが納得できる考えを見出し合うことが重要なのです。

まずはここまで。
哲学って何だか難しいというイメージがありましたが少し近づいてみたくなりました。
物事の本質をみるように心がけることで、いろんな物事をみる目も変化しそうな気がします。