■怪力横手の五郎(肥後・熊本の昔ばなし)

 今年は、熊本城の築城400年ということで、様々な行事が執り行われ、また本丸御殿も見事に復元されました。熊本県民、そして一口城主としては嬉しいことに、入場者数も大幅アップのようです。その熊本城にちなんで「怪力横手の五郎」という熊本の昔ばなしを、熊本弁で語ってある「肥後の昔ばなし」の本から抜粋して掲載します。
 今から三百八十年ほど昔のこと、肥後の国に「横手の五郎」と呼ばれる若者がおった。五郎は、加藤清正と一騎打ちをして負けた木山弾正の子だといわれるが、これがまた大変な力持ちでな。大の男が五人かかって運ぶような大石でも、一人でかるがるとかついでしまうぐらいなんじゃ。じゃから、熊本城の石垣を築くときでも、五郎は人の何倍もよう働いてな、みんなからちょうほうがられておった。

 清正も、ぬけ穴の工事や、大事な場所の工事には五郎を使うたという。そんな五郎を、みんなは「横手の五郎は怪力じゃ」ちゅうて、ほめとったそうな。

 そんなある日のこと、いっしょに働いておる一人の男が五郎に聞いた。
  「五郎よ、おまえ、人の何倍もがんばっとるが、そんなに働いてどうするんじゃ」すると五郎は、「こん城が、いつか自分のものになると思えば、どぎゃんつらか仕事でん、きつうはなか」と答えるのじゃった。父の仇の清正を討って、城を自分のものにしようとでも思うとったのかのう。

  ところが、この話を聞いた清正は、心おだやかではなかった。それもそうじゃ、もしその話が本当なら、いつ自分の命がねらわれるかわかったものでないからのう。

 こうしちゃおれんと思うた清正は、五郎に、井戸工事の仕事を命じたそうな。五郎が井戸の底で仕事を始めると、上から大石を投げこませて、生き埋めにしようと考えてな。

 ところが石が投げこまれると、井戸の底の五郎は、落ちてくる石を両手で受け止めては上に投げ返してくるんだと。そのうちに、片手で受け止めては左足の下にしき、片手で受け止めては右足の下にしきしているうちに、五郎は、だんだん上の方へ上がってくるんじゃ、上にいる者は気が気でないもんじゃから、どんどん石を投げてくる。そのうちに五郎は、みんなが自分を殺すために石を落としていることに気がついたんじゃと。さすがの五郎も、もうこれまでと覚悟を決めたんじゃろう。

 「わしを殺すなら石ではだめだ、じゃりを入れろ」と大声で叫んだ。なるほどと思うた上の者たちは、石のかわりにじゃりを入れはじめたそうな。

 みるみるうちに五郎の足が埋まり、ひざが埋まり、胸がかくれ、やがて五郎の体は、土砂の下にしずんでしもうたという。

 一説には、城の人柱にされたのではないかとも伝えられるが、横手の五郎の像は、今、熊本市花岡山の社に、「横手の五郎大明神」としてまつられておるということじゃ。