■「よくなりたい心」と「よくしたい心」

故平田耕也会長がよく話していた「人は無限の可能性を秘めている」という言葉を、共育塾の原点に置いている。私の過去の「挫折を含めた経験」と「そこからの脱却を目指して書籍や対話からの追究(知識)」から得た「本質的な人の見方」である。
自立人材育成のキーワードとして、「刺激や気付きを得ることで自ら育つ」「自分の頭で考え、自分で解釈を深め、自分の言葉で話す(自己選択・自己決断・自己責任)」「互いに教え合い、学び合う(相互研鑽)」などがあるが、その大本(おおもと)には「やりがい(生きがい)」があると考えている。
「やりがい」は「自己向上心(よくなりたい心)と社会貢献意欲(よくしたい心、お役立ちしたい心)」から生じて、「気付き」で育まれていく。
たまたま目にした日経新聞の記事に「茂木健一郎さんに聞く 人生100年時代の備え」があり、その見出しに「生きがいが幸せのカギ」と書いてあった。
「やりがい(仕事)」と「生きがい(人生)」の違いはあるが、やることや生きることに甲斐(価値)を見出すことは同じであり興味を持った。
内容を読んでみて、私が常日頃から思ってきた考えに同根性を感じたので、その概要を纏めておくこととした。

 
この記事の序文に「日本人にとって幸せは本来、社会的な成功や名声だけでなく、自分の役割の中に充足感を見出すことがあったはずで、この生き方が海外でも評価され始めている。」と書いてあった。
高度成長の時代が終わり、デジタル革命による激変社会を迎えて、世界的に多数の人々の不安・不信・不満が高まる中で、欧米流のサクセス・ストーリーに共感できる一握りの人間と、共感できない大多数の人間で構成される社会を迎え、欧米でも今までと異なる新たな価値観が求められているのだと思う。米国流の価値観では、「人生の目的は成功が全てであり、スターになれる(=幸せ)のは限られた一部の人だけ」である。一方で、日本人にとって「生きがい」を見出すことは多くの人にとって当たり前のことであり、この考え方は「成功」とは切り口が異なっている。日本人は「どんな立場の人にも、活躍する場に応じた生きがいがある」とい欧米とは異なる価値観を形成している。

茂木氏の言葉として、「脳科学的にいうと、脳は他人のために何かをすることと、自分のためにすることを、ほぼ同じように嬉しいと感じます。他人を喜ばせようと自分が学ぶことは、他人のためになることであり、世の中に貢献することで感謝され、まわりまわって自分が幸せになるのです。利他性は結局、自分の幸せを呼び込むことになるのです。」と書いてあった。
年齢を重ねるメリットは創造性を生み出す基礎データが蓄積されることであり、いくつになっても「学ぶ意欲」を持ち続けることが、生きがいのカギであると結んである。(デメリットとして老化があるが、「学ぶ意欲」と「補完ツールの進化」で克服できる時代になりつつある。)
私自身もこの言葉を肝に銘じておきたいと考えた次第である。